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父の人生を変えた『一日』

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父は茨城県守谷市の片田舎生まれ。旧姓は鈴木。母と結婚するに際して、養子縁組して、水澤という姓になりました。2016年、4月2日に父は亡くなりましたが、生前、ライオンニュースという…
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父の人生を変えた『一日』その58 ~英語~

その58 ~英語~  本部長から呼び出しがかかった。偉いさんが集まっていた。 「ライオン、…

水澤元博
3年前
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父の人生を変えた『一日』その57 ~戦闘部隊~

その57 ~戦闘部隊~  その日は異様な雰囲気の日であった。㈱トーメンの木材部の上席はあ…

水澤元博
3年前
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父の人生を変えた『一日』その56 ~サラブレッドの集まり トーメン~

その56 ~サラブレッドの集まり トーメン~  新入社員が入ってきた。お前の親父はなにを…

水澤元博
3年前
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父の人生を変えた『一日』その50 ~国際結婚~

その50 ~国際結婚~  ㈱トーメンのシアトル支店とカナダトーメン社の木材部の合同ゴルフ…

水澤元博
3年前
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父の人生を変えた『一日』その49 ~さらばアメリカ~

その49 ~さらばアメリカ~  アメリカからの帰国する日が近づいてきた。アメリカの友人達…

水澤元博
3年前
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父の人生を変えた『一日』その48 ~休日出勤~

その48 ~休日出勤~  アメリカでも土曜日も日曜日も無かった。ある日曜日に子供2人を赤…

水澤元博
3年前
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父の人生を変えた『一日』その47 ~壮大なアメリカの自然~

その47 ~壮大なアメリカの自然~  アメリカの山道は非常に険しく急斜面が多い。そういう所に美林の木材が隠れている。山道100メートル作るに1億円かかると言われている。つまり伐採するところに行けなくて道を作るに膨大な費用がかかり、出材出来ない美林が沢山ある。 ある山をヘリコプターで検品した。素晴らしい美林であった。栂の選木やらノーブルファーと呼ばれる特選木まで生育していた。「素晴らしい材木」であった。その木々と対峙して涙が出るほど感激した。「素晴らしい」の一言であった。  ア

父の人生を変えた『一日』その46 ~ヒンショー本田~

その46 ヒンショー本田  ㈱トーメンの船が木材を積んで日本に向けて出港する前に船に行っ…

水澤元博
4年前
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父の人生を変えた『一日』その45 ~祖父祖母のトーメン訪問~

その45 ~祖父祖母のトーメン訪問~  米国に行って4年が経った。日本の本社の木材本部長…

水澤元博
4年前
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父の人生を変えた『一日』その42 ~運~

その42 ~運~  ある山の木材を買い付けた。その山の木を伐採し出材していく時、あるアメ…

水澤元博
4年前
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父の人生を変えた『一日』その41 ~企業戦士~

その41 ~企業戦士~   丸紅、川商、日商の友人とシアトルのホテルの一室に麻雀の自動卓…

水澤元博
4年前

父の人生を変えた『一日』その18 ~麻雀卓上の人事発令~

その18 ~麻雀卓上の人事発令~  奈良天理から木材会社の社長がアメリカに出張に来た。「…

水澤元博
4年前
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父の人生を変えた『一日』その16~試される駐在員~

その16 ~試される駐在員~  アメリカには世界一大きな木材会社ウェアハウザー社があった…

水澤元博
4年前
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父の人生を変えた『一日』その14~営業マンとしてのスタート

その14 ~営業マンとしてのスタート~  2年目で営業に廻され新天地名古屋で『日本一の営業マン』目指して行動が開始された。土曜日も休まなかった。只ひたすら夜遅くまで働き続けた。子供の顔は何時も寝顔だけ見る毎日であった。『木材の商品知識』木材の鑑定・木材の吟味の基本になる丸太の仕分けを名古屋港の海の上で何日も何日も重ねた。  名古屋木材の杉浦常務(木材の見方では右に出る人はいないと言われた木材のプロ中のプロ)が先生であった。この毎日の木材の吟味査定がアメリカに行って花咲くとは誰