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ある日、世界は美しいと思った。

平坦な毎日が続く
学生時代から今日までの間にこんなにも肉体的に穏やかな日々は無かった気がする
転職が決まり、現職の退職日も決まり、最終出社日の12/13までの間、こんな日々が続くと思うと嫌になる
楽になるのは棺桶に入ってからで良いし、この宙ぶらりんの状態がもどかしい
そしてそんな状況とは裏腹に精神的には常に満たされる事なんて無く、更には足るを知らない欲望だけでは無く、新しい職場での楽しみ、期待、不安なども入り混じって常に荒れ狂って自分でもよくまともで居られるなと不思議に思う
いや、もしかしたら自分がそう思ってるだけでもう手遅れの可能性もあるけど

新しい職場は俺が新卒の頃に入った会社の最初に配属された店舗の先輩が数年前に独立して作った会社で、従業員も両手で収まる程の吹けば飛ぶ様な中小企業だ
その先輩と出会って10年以上、最初の店舗の時も、俺が異動して違う店舗になっても、会社が変わっても良くしてくれ、先輩はコロナ期間中にサウナにハマり、家が近いこともあり俺が広島から戻って来てからはちょくちょく一緒にサウナに行ったりしてる

俺が最初の会社を辞めて1年程してから、先輩も会社を辞め自分の会社を作った
独立した当初、「うちに入らない?」と誘われた
一緒に居て楽しかったし、辞めて1年経つのに会社で圧倒的成績を残して独立した人に誘われたのは素直に嬉しかったけど、迷った末に断った
その頃俺は転職して1年程で、まだその会社で何も結果を出して居なかったのて断ったというただカッコつけただけの自己中心的な理由だった

この決断については後悔も若干はある
この時先輩の会社に入ってれば色々と違う人生になってたと思うけど、この時に転職しなかったからこそ出会えた人、観れた景色もかなり多い
多分今仲良くしてくれてるサウナ関係の人とはほとんど出会えなかったと思う

だけど再度転職し、広島から関東に帰って来て、自身の人生と真剣に向き合ってその未来を、結果を、懸けたいものを考え抜いた時、その先輩の会社に入ることでしか色々と実現出来ないと思った

かつて誘いを断ってから5年近く経ってた
チャンスの神様は前髪しか無いと聞くけど、それなら腕を思い切り伸ばして、後ろから前髪を引っ張ってやるしか無い

先輩に入社したい旨を伝えると最初は渋られたものの、面接をする事になり、緊張して先輩の会社に行くと「まずご飯食べよう」と言われ昼食を食べ、会社に戻って面接お願いしますと言うといきなり「まぁ結論から言うと採用です」と言われあっさりと転職が決まった(後から他の先輩に聞いたら1年以上前からこめを会社に入れたいと言ってて、その教えてくれた先輩がもう少し会社の体制を整えてからのほうが力を発揮出来ると止めてたらしい)

遠回りして5年前とは違う結論で同じ結果となったけど、遠回りではなく、あまりに苛烈に、何回か倒れる程働いた最初の会社で失ったものを取り戻す充電期間だった気がする
いわゆる文化的で健康な生活を享受して、この5年で様々な人と出会い、喜怒哀楽を共有して、社会人としての仮面を被るのも上手くなった
だからこそ、今回の決断も出来たんだと思う

俺自身は顔が良いわけでもなく、人間性が優れているわけでもなく、特に秀でたものもなく、極々平凡な、もしくはそれ以下の人間だけど出会った人というか周りの人には恵まれたという気持ちがある
これまで色んな人たちを傷つけてきたし、友達だってあまり居ないし、自分勝手だし、口下手だし、偏屈だし、そのくせ頑固だし、ネガティヴだし、空気を読むのだって苦手だけど、それでも良くしてくれる人達に溢れてると感じる

いつか何か返せればと思うけど、そんな物は残念ながら無い
自分の矮小さを感じるほど、それでも手を差し伸べてくれる人たちがいるこの世界は俺にとってはあまりに美しすぎると思った
右目で現実を見つめ、左目で地獄を見つめる
だけどその景色は美しさに溢れてる

この世界の中心に立つ、俺を除いて

だから死ぬほど働いて、その存在意義を確かめたい
1月から底に穴が空いた樽にひたすら水を注ぎ続けていく
口を閉じて、呼吸を止めて、生きることの辛さを味わいながら

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