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0006 孤島の探索(1)

 青なる魔素と白なる命素に満たされた藍色の辺獄、とも言うべき鍾乳洞窟での体験のすべてが"夢"であるかもしれなかった。全部が、痛みすら感じるレベルのただの壮大な明晰夢であって、そう考えれば技能スキルだとか、蟲?とされていたものエイリアンだとかだって、夢なのだから、その中での突拍子もない場面や情景・状態の変化だと言えなくもなかった。

 だが、こんな思考は、俺自身の単なる「まだ認めたくない部分」が抵抗しているだけだということは、頭ではわかっていた。それが夢想癖によってたびたび発生しているだけだと、この3日弱の中でとうに気づいていた。
 だからそれを2つの技能、【強靭なる精神】によって抑えつけたり、【欲望の解放】によっていなしたりしていたのが今の俺だった。

 それはきっと、本来この2つの技能が意図された使い方ではないような気がしてならなかった。

   ***

 生乾きのバイクスーツを羽織り、米軍放出の軍用ブーツを履いて、異形の生命体アルファとベータを伴って俺は鍾乳洞を進んだ。道中の地形は、俺が考えていたよりもずっと入り組んでいて複雑だったので、走狗蟲ランナーのベータに先行して道の確認を指示した。

 すると驚いたことに、ベータは発つ直前、アルファと目配せをしてお互いに鼻を鳴らした。
 そのわずか1秒のやり取りで、二体は完璧に連携を構築できたのだ、とわかったのは移動を初めてからすぐのことだった。

 先行せよ、とベータが命じられたならば、アルファである自分は護衛を担うということ。
 言わずともごく当然にそう判断をしたかのように、アルファは道中ぴったりと俺についていた。溜まった水滴でぬかるんでいて、足を滑らせそうになるような危険な場所もいくつかあったが、盲導犬顔負けの力強さで、アルファは俺にぴったりと体を寄り添わせていた。
 そして、俺の右に左に下に移動して、必要とあらば力を込めて体を押し支え、危険な道を避けさせてくれたのだった。

 "魔人"の強靭な身体とはいえ、治ったばかりの足でデコボコを無理に踏破するわけにもいかないという心配はあった。それだけに、的確に横から後ろから体重をこめてアルファが支えてくれるのは、いっそ介護されているかのようで、驚くとともに気恥ずかしさのあるものだった。

 ――そしてさらに驚愕すべきは、洞窟を先行するベータと甲高い高周波の鳴き声で、アルファがお互いに連絡を取っていたことだった。
 アルファだけでは俺を支えきれないな、と判断できるような"崖"や"ちょっとした絶壁"にたどり着く度、そこには常に、先行を中断して戻ってきていたベータが待ち構えていたのだ。そして何も言わずに尻尾を垂らして俺に掴ませ、自らは太い足と鉤爪で踏ん張る。目配せや鳴き声で連携しながら、下から押し上げてくれるアルファとのファイト一発ばりのコンビネーションをベータが演じ、2体は俺がそうした崖を登るのを手伝ってくれたのだった。

「ありがとう。伊達にお前ら『維持命素』が労役蟲レイバーよりも高いってわけじゃないな」

 多分、筋肉の密度が違うのだろうと俺は考えた。
 運ぶこと、掘ることに特化した労役蟲は外骨格で全身を覆い、また安定性を重視した多脚であるという"役割分担"なのだろう。純粋な体格では走狗蟲ランナーの方がわずかに小柄だったが、盛り上がった筋力という意味では、こうした場面では遥かに力強く頼りになると俺は感じていた。

 ――そして、外までたどり着いた。
 俺の中にまだしつこく残っていた、死後の夢の世界の続き、という幻想が、差し込む陽射しによって吹き散らされていった。

   ***

 洞窟内で幾度となく上り坂、崖、絶壁の類があったことから予想はしていたが、出口は小高い丘の上だった。周囲には、洞窟の岩壁と同質の種類と思われる大小のれきがまばらに転がっていた。ただし、陽射しが理由であるかはわからないが、洞窟内でははっきりと感じることができた、魔素と命素の仄光そくこうは皆無であった。

 ぱっと周囲をぐるりと取り囲む森、そしてさらにその向こうに"海"が360度の視界に収まったため、ここはこの島一番の標高の高い丘の頂であることがわかった。ちょうど、お椀をひっくり返した、そのてっぺんのような平坦な場所に俺達はいた。
 そしてその中央部に、大人二人が並んでやっとというほどの幅の亀裂のような大穴が開いており、俺と走狗蟲2体はそこから出てきたのであった。

 ついに外へ出てきた、という感慨と同時に――しかし俺は虚を突かれたような、まるで世界全体に皮肉られたかのような気持ちになった。
 そこは、まだ夢か辺獄リンボの続きかと思うような、一見して様々なものが異常と見紛うかのような自然風景だったのだ。

 目の前の光景をよく見晴らすべく、俺は急いで丘の端の方まで走った。

 見上げた空は、およそ元の世界ではあり得ない、パステル調の淡い薄紫と乳白色の入り混じった色をしていたからだ。そして、その天頂で燦々と金輪をまとって輝く、直視しても・・・・・目が傷まない・・・・・・漆黒の"太陽"。
 光の屈折だか、レイリー散乱だかスペクトルだか、少なくとも俺の知る物理法則ではないことは確からしかった。

 なんだ、まだ"夢の世界"にいたのか? と俺は自嘲した。
 自嘲とはすなわち、もう諦めて受け入れる気持ちになっていた、いちいち驚くことに疲れた、という心理だったのかもしれない。

 見渡す森の向こうを360度隙無く取り囲み、ここが絶海の孤島だと思い知らしめてくれる"海"は――ワインレッドのドレスが無数にたなびくかのような「真紅の海」だった。
 元の世界には名前としては「紅海」というものがあったが、それとは異なる、本当の意味での、真っ赤な大海原が遥か彼方まで広がっていた。

 文字通り気が遠くなりそうな気がしたので、俺は眼下をより手前の方、この丘を取り囲む鬱蒼とした"森"に戻した。
 空も異常、太陽も海も異常ならば、せめて樹木はどうか? と思ってのことだったが、幸いにして葉っぱが青色だったり銀色だったりすることはなかった。
 しかし、気圧されるほどの圧倒的なまでの緑の「樹冠」達が、隙間一つ無いほど・・・・・・・・びっしりと、さながら緑色の絨毯を敷き詰めたかのように、丘のすぐ下の高さに密集して、地面が全く見通せなかった。

 沈黙して立ち尽くしていた俺を、漆黒の太陽の陽射しが優しく頬を撫でたように感じた。
 その感覚を無視しようかとも思ったが、嫌に心地よく身体が安らいだのは、ここが【闇世】であり俺の身体が"魔人"混じりであることと関係しているからであったか。
 ならば、その感覚はいい加減に諦めて受け入れるのがよい。
 そう自分を納得させて、俺はおおよその島の面積を計測し始めた。すると――

――新たなる技能【精密計測】を獲得しました――

 外界で最初に聞いた迷宮核からの通知であるシステム音は、洞窟内で聞いたそれと同じだった。つまり、やはりこれは俺の脳内に直接響いている類のものなのだろう。
 技能スキルというものは、どうやら何らかの条件を満たせば、こうして新たに獲得するらしい。そのあたりの法則について、改めて迷宮核の知識へと意識をつなげて調べてみたところ、新たなシステム音が鳴り響いた。

――爵位権限クリアランス不足――

「駄目か」

 俺は独りごちたが、驚きはしなかった。
 迷宮核の知識を、エイリアン達の孵化や進化を待つ間に何度か漁っていた中で、それは何度も聞いたシステム音だったからだ。「ステータス画面」にあった『爵位』という項目は、【闇世】の歴史では迷宮領主ダンジョンマスターの勢力や権限の強さを表すものである、ということはわかっていた。だが、単にそれだけの名誉職ということではないということだった。

 シースーアこの世界のより重要なこと、より本質的なことを知りたければ、現在の『郷爵バロン』という最下級の爵位では全く足りない。俺が知ることのできない情報は、1つや2つではなく百や二百あっても驚くものではない。

――せんせ、また関係ない話してる――

 今日の分の幻聴が耳朶を打つ。
 1日1回は訪れる"あの日"からの、医学的には定義されえない不治の病。心の病ですらない。

 それこそ「関係ない」とばかりに俺は首を振ってそれを振り払い、技能【精密計測】の力を借りて、この絶海の孤島のおおよその大きさの「計算」を再開した。

   ***

 結論から言えば、この島の大きさは約75平方km。
 八丈島より少し大きいと思えばよい。一口かじられたクッキーのような"入り江"がある形状で、島の周囲は約50kmで、気力を維持しながら歩けば、半日から一日ぐらいで一周できる距離だった。

 また、今俺がいる小高い丘の高さは標高65mほどもあり、20階建ての高層ビルに匹敵していた。そして、そんな小高い丘から"ちょっと下の位置"に広がる、そのまま足を踏み入れることができてしまいそうな緑の絨毯をなす無数の樹冠は、どれもその高さが40~55mであった。

 元いた世界での最大の樹木種は、調べたことがあったが、セコイア系のもので80mから100mを越えるような個体もあるとのこと。それと比べると低いため、巨大樹ではあっても、高さだけならば異常ではない。

 異常なのは、この樹海の木々達の樹冠そのものだった。
 びっしりと、まるで偏執的に織り込まれた織物であるかのように、木々1つ1つの樹冠は独立しておらずお互いに絡み合って、上から見れば"緑の絨毯"のように隙間が無く、大量の緑葉に覆われて地面を見通すことが難しかったのだ。

 そして、個々の木々はその高さが45mから50mとそこそこの幅がある。ということは、この絡み合って島全体に覆いかぶさったかのような巨大な樹冠群は、単に絨毯と言うように横に広がっているだけではない。標高45mから50mの位置に、つまり厚さ5mもの"樹冠の層"という上下にも広がりのある空間を形成している可能性が高かった。

 頭の中に色々な疑念が浮かんできていた。
 個々の木々が、人の目から見てどれだけ幹が巨大樹として太く見えたとしても――それでも、この島全体に覆いかぶさったような分厚い緑の"層"は、想像を絶するほど圧倒的な重量であると確信できた。

 むしろ、その重量を支えるためにこそ、巨大樹は相互に枝を絡み合わせた「一つの樹冠」を形成するように同時に・・・成長したのではないか、という考えすらあった。

 少なくとも、そんな生態である樹木"群"があるなどと、俺は元の世界では聞いたことはなかった。
 普通、ある樹木が倒壊したらそこから新たに芽吹き、複数の苗が競争して、勝ち残ったものが高く高く伸びて、その他のものは枯死して養分となる、そんなサイクルを経て「森」が形成される。

 最終的には一体の環境、調和された自然となるが、個々の樹木や草花の時間は別々バラバラに始まったものであるはずだ。そういうことなので、全ての樹木が"一度に倒壊する"ということもないはずであった。

 だが、今俺の目の前に広がっている「絡み合った樹冠の層空間」は、それを構成する巨大樹が1つ2つ寿命を迎えても、まさに樹冠で繋がってお互いに支え合っているせいで・・・、倒壊する時には一度に全てが崩れるだろうと思われた。
 入り江を12時とした8時の方角には、樹冠の絨毯全体の10%程度を占める範囲で、まとめて枯死・倒壊しそうな、明らかに枯れた薄茶色と化した「樹冠の絨毯」の一角が見えた。
 もし、この島に何かが起きた場合、あの箇所から全てが連鎖的に倒壊し、隠され覆われていた地表が露わになるだろう。

 そこに何者かの作為を感じずにはいられなくて、だから俺は、そういう意味でこの最果ての島の"森"に異常性を感じたのだった。

   ***

 それから俺は、あれこれ技能【精密計測】の力を借りて、最終的に頭の中にこの島のおおよその地図のモデルを書きあげた。
 これは、あることを予想してわざと【情報閲覧】技能も併用して行った作業だったが――果たして、予想の的中を告げるシステム音が脳内に鳴り響いた。

――世界認識の最適化を検知。新たな技能連携を定義――

――対象:情報閲覧、精密計測――

 俺という存在の「ステータス画面」の項目に、新たなタブのような形で情報が追加されていたのだ。
 そこには「記憶した地図」と記されていた。つまり【情報閲覧】の形式によって、光の板の形状として実際に俺が頭の中で"作図"した地図を、現実に目の前の空間に広げることができるようになったのであった。
 俺はそれを見やすいように、魔素と命素を操作する容量で"拡大"して広げてみせた。

最果て島①

「あぁ、これなら便利だな。おいアルファ、ベータ、これをちょっと見てみろ」

 俺のそばを護衛していたアルファはすぐに覗き込んできた。丘の端っこの方で崖から樹冠の絨毯まで飛び降りれないか思案げな様子だったベータも、くるりと踵を返して走って戻ってきて、アルファに並んで、俺が空中に浮かべた"地図"をまじまじと見た。

「さながら森の中から頭一つ飛び出たエアーズロックってところか」

 地図にして自分自身で見て改めて実感したが、絶海の孤島なのだ、ここは。
 島外からの侵入を心配しなくてよいことは良い情報だ――特に、例えば"魔王"が俺という馬の骨から迷宮核ダンジョンコアを奪還することを決意した場合には、まだ立てこもるための準備をする時間はあるかもしれない。
 迷宮核から読み取った【闇世】の『歴史知識』においては、迷宮領主達は【人世】からの防衛よりもむしろ、お互いに力を奪うために争い合う、戦国時代の様相を呈しているということだった。警戒するべきは、【闇世】の最高司祭たる"魔王"だけではないのであった。

 しかし、絶海の孤島という事実に、どうにも俺は落ち着かない心地でいた。
 長期的には、今からそれを考えることは取らぬ狸かもしれないが、この島の探索を完全に終えてしまったその後、さらに島の外側へ行きたくなった場合には、大海原を赤い水平線の向こうまで行くための何かが必要になるだろう。

 船か。またはエイリアン俺の眷属の可能性に賭けるか。
 あるいは、魔人族――【全き黒と静寂の神ザルヴァ=ルーファ】に言祝がれた『ルフェアの血裔』には、身体に【異形】を発達させることができるというが、その中にある「翼」の異形というものをあてにするか。
 だが、それは逆に言えば、まさに「翼」を持つ魔人族が海を渡ってこの島に侵入してくることができる、という意味でもあった。発見自体は容易だろうが、もし、そいつが俺に敵対的な者であった場合は、準備を整える時間はあまり無いかもしれなかった。

 高揚と、野心と、思考と想像の広がりの裏で、俺はそんな焦りも覚えたのだった。

「それじゃあ、探索といこうか、アルファ、ベータ」

 意を決して、俺はアルファ、ベータと共に丘の端の崖まで歩いた。
 そして"樹冠の絨毯"を見下ろし、一人と2体で連携しあいながら、崖を降りていくのであった。

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