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田舎と都会のちょうどいい暮らし   自然度と文化度で地域を見る

ちょうどいい暮らしについて考える
 「暮」という言葉の意味を考えてみた事はありますか、日が暮れるとか途方に暮れるなんて言い回しもあるとおり、意識して作るものというより自然と流れゆくものの様に改めて感じております。そんな事を想いながら、今回は私の考えるちょうどいい暮らしについて書いていきます。
 「ちょうどいい暮らし」を考えるため、私自身の都会での暮らしと田舎での暮らしを改めて思い返してみて、良いところや悪いところを上げ連ねてみてその上で、どっちに住みたいとか、もっと違う選択肢はないのかとか、未来の暮らしはどうなっているだろうとか、あれこれと考え、よいしょと文字に書き起こしてお伝えしていこうかと思います。

※2年程前に寄稿した記事をふと思い出して、アップしてみました。

暮らしの中での関わりを考える

お金との付き合い方
 当然のことながら田舎の経済規模は都市のそれより圧倒的に小さいです。それ故お金を稼ぐ事に関しては都市の方が有利な事が多いです。資本主義に問題があるとは言われて久しいですが、何だかんだ言ってもまだまだお金で解決できる事は多いですし、自分自身の力だけでは絶対に叶えられないような事が実現できたりします。資本主義社会における自由はやはりどれだけ資本を持っているかに依るでしょう。ただしお金自体が自分の暮らしを豊かにするわけではありません、うまく使って始めて機能します。お金の価値は変動しますし、いつでもすぐに使えるわけではありません、そういう意味では万能の力ではないでしょう。
 お金を稼ぐのに不向きな一方田舎では使われていない土地や空間が沢山あります。昔の人がそうしていたように自然から自分が生きる為に必要な食料や資材をいただく事ができます、自分ですべて出来なくても自然と共に生きるプロが沢山いますから、うまく繋がれればその恩恵にあやかれます。また土地や環境を活かしてお金に変える事もできます。自分自身で色んな感覚や発想を持って創り出す事には大変さもありますが、そこに喜びもあります。
 ただし本当に昔ながらの暮らしを再現しようとするのは、現代の生活に慣れ切った我々には大変過ぎます。そこで現代の田舎で満足の行く暮らしをするためには、上手に経済と繋がってお金の力を使いこなす事と、お金があれば何でも叶えられるという発想から少し離れて、お金を使わず自分で色々やってみるという発想が必要かもしれません。

自然とのお付き合い
 今私が住んでいる所は家から一歩出れば野には田園風景が広がり、辺りは住宅とぶどう園が一体となって暮らしを形作り、山には四季折々の景色を望む事が出来ます。そういった環境に身を置く事は生き物としての自然な感覚というのを損なわずに、僕らが本来持っていて自然に出てくる感覚と発想を元に考えたり創造するのにはとてもいい環境と感じます。一方でそれは人間以外の多くの生き物も自然と生息していますので、草木もそうだけれど虫や動物だって沢山遭遇します。私自身はそもそもそんなに都市部の生まれではないですし、抵抗はないのですが苦手な人は本当に無理な事もあると思います。自然のいいところだけたまに享受したいというのであれば、やっぱり都市郊外の大きな公園の近くに住むとか、たまに綺麗な施設でアウトドアにでも興じるくらいがちょうどいいのかもしれません。

人間の多様性について
 田舎は多様な自然環境に触れられる一方で人間関係は割と固定されています。何か新しい事やろうと思った時もメンバーは固定されてて似たような事をやりがちです。そういう訳で暮らすのが長くなってくると交友関係に新鮮さが無くなってきます。たまに都市部の居酒屋で飲み歩いたり、色んな人と話したり交流したり色んな事を仕掛けたいなと思ったりすることもあります。人間の多様性が低いのでサービス業やエンタメの多様性は都市と比べてやはり低いです。ただし自然の多様性は高いので農業をはじめそれを生かした仕事を作るのであれば優位性があります。
 今はSNSやウェブサービスも沢山ありますので、上手く駆使していけば田舎にいても多くの人と出会ったり繋がったりすることもできます。繋がる事が出来れば人に直接価値提供する仕事も生み出せます。そうした取り組みは6次産業を作ろうというような言葉で語られる事もあります。
 ただし地域に依るのですが、田舎の特に隣組などのコミュニュケーションは回覧板と噂話が主流であったりすることも理解しつつ、最新のコミュニュケーションツールを使い分けないといけないので結構大変だったりもします。

自然度と文化度というスケールで捉えてみる

 自身にとって理想の暮らしをするには自然と人間のバランスがいいところを見つける必要があるように思います。前述したように都市から離れれば離れるほど、虫や草木を含む自然の原風景に近くなるけれど、人が住みやすく開拓されていれば自然と人との住み分けがしっかり保全されていたりします。田舎で満足の行く暮らしをしたいという事であれば自然もそこそこにあって、人の手がそこそこに加わっている文化的な所がよいですが、自然が近くにあって素晴らしい文化も作られている所を俗にいえばリゾート地や観光地という事になるでしょう。お金に糸目をつけないならいくらでも見つかるでしょうが、人気のリゾート地や観光地に拠点を持つのは中々難しいかもしれません。そこで多くの場合、色んな地域と繋がっておく事がベターなように思います。文化という言葉を使いましたが、どの程度人の手が加わっているか、人間の多様な個性がどの程度発揮されているかというのをここで文化度と称してみます。

文化度と地域コミュニティ 
 文化度を考える時、土地が開拓されている事より、現地のコミュニティが活発化とか暮らす人の多様性があるかの方が重要です。例えば一旦外に出て戻ってきた人とずっと田舎に住んでいる人とでは、全く価値観が異なり理解しあうのは難しい事が多いです。お互いが理解できなくてもよい相互関係を築く事は出来ますが、一から始める場合ちょっと時間はかかります。よそから来た人を歓迎する土地かどうかというのは、事前に移住してきた人やUターンで帰ってきた人が先駆的に良い関係を作っているかどうかが、手っ取り早い手がかりでしょう。私自身仕事として「地域おこし」という活動を3年やってこなければ地域にずっと住んでいる人と良好な関係を作るのは難しかっただろうと感じています。
 
文化度の高い地域
 お金のある自治体であれば、文化度も高いだろうという予測もできますが、いつもそうでは無いように思います。例えばダムや再処理施設がある自治体には国から交付金が沢山入るので、ピカピカの公共施設とかが立ち並んでいたりします。しかしそこに至るまで、地元土着の文化や歴史そして暮らしが一旦破壊されていたりすることもあります。その結果地域発の主体的で意欲的な行動が排除されたような風土の温床になる場合もあるように思います。自然については現地に行ってみれば何となく自分に合う合わないなどわかりますが、文化の良し悪し、合う合わないは行って見ただけではわからない事も多いです。やはり最終的には自分の感覚が大事で、地域に知り合いを作って遊びに行って自身の理想の地となるのかどうか確かめてみるのいいのでしょう。基本的には文化地が高くて人が集まるところが魅力的だと思うのですが、あまり人の営みや生活感のない地域ほど開拓の余地や未だ見ぬチャンスがあるとも言えるので、田舎や地域に住みたいという事を考えた時どのようなところをイメージするのか考えてみるといいかもしれません。

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自然度と文化度のイメージ図

自然度と文化度のイメージ図

 という事でちょうどいい暮らしの場を探る記事でした。

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