たっきーの自伝 12

大学生

卒業の少し前、付き合っていた彼女とはお互いの意見が会わずに別れてしまった。
心機一転、大学生として臨むことになる。入学式当日に初めて登校するキャンパスまで行った。非常に遠い。里親宅から片道2時間半。これは想像以上に遠かった。一限に間に合うように出るには6時には家を出ないといけない。
入学式の後に履修登録の説明を受ける。なんだかよく分からなかったので、同じクラスの人に色々教えてもらい何とか理解した。英語学科は必修が殆ど通年2単位だった。しかも出席重視の科目が多かった。
措置解除になり、本格的にアルバイトを探さなければ行けなくなったので、周りから情報を集めた。
体操部があったので入部したが、10000人も在学する学校で男女合わせて部員が5人しかいなかった。部の先輩はとてもいい人たちだったが、部活のキャンパスが通っているキャンパスから1時間以上かかる所だったので、少し面倒に感じた。加えて曜日によって使えない曜日があったので他大まで練習に行く事が多かった。
交通費がかなりかかってしまうのと、アルバイトがなかなかやりづらいので、半年ほどで部活はほとんど行けなくなってしまった。
アルバイトは塾の講師に加えてビルメンテナンスの仕事を始めた、最初は土日のみやっていたが、段々平日の夜勤などもするようになった。

友人が違う大学のお茶のサークルに入っていて、そこによく顔を出すようになった。お茶の練習の後に飲みに行っていたので、違う大学にも関わらずしょっちゅう一緒に飲んでいた。
ビルメンテナンスのバイト終わりで学校に行ったり、友人宅から学校に行ったりするようになったので、里親宅にはほとんどいなかった。
後期の後半には学校にも午前中には行かなくなった。
あまり佳い生活を送っている感じはしなかったが、学校の近くに住んだりするような余裕はなかった。

そんな最中、姉が20歳になったので里親と養子縁組するという。もとより出生に縛られたくないと考えていたのと、結婚の際の事を考えての事と説明された。
私も20歳になったら養子縁組してもいいと言われたが断った。まだ、誰から生まれたかも分からないのにそんな気持ちになれなかった。

免許の法律が変わると言うので、早めに車の免許を取った方が良いと周りに言われたので、免許を取りに行くことにした。
ただでさえ多忙を極めていたので、予定した所に入れないなどで仮免を取るまでに3ヶ月かかった。

春休みに入り、本格的にアルバイトざんまい、使える時間は全部働いていた。

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