【ゴールデンカムイ30巻発売記念】養狐業について蛇足

 ゴールデンカムイ30巻発売記念の記事です。
 というのはコジツケで、牽強付会、我田引水も良いところなのですけども。樺太の養狐業のレポート同人誌はあれはあれで一旦切りの良いところで綺麗にまとまったと思ってはいたものの、やはり説明が足りてない分というか、さらに付加的な情報で興味深いものがいくつかあるのでそれは紹介しておきたいというか、もし万一ガチで書籍化するようなことになるならここを掘り下げたいという箇所がいくつかあるというか、そういう感じがしますので少しだけ補足していきます。

グローバルシェアについて

 レポート内でもノルウェーとカナダとアメリカが3大生産国で、ドイツで10%に満たず、日本のシェアはおそらく2%程度、みたいなことを書いてましたが、大体合ってましたというか、他の国も含めたシェアが見つかりました。時系列ではなくて単発のデータなので前後取ると上下してそうではあるんですけれど。

出所:毛皮日本(昭和14年1月号)

 そういえば国会図書館の個人向けデジタル化資料送信サービスで昭和10年以降の毛皮養殖業者向け雑誌(毛皮日本、毛皮動物、毛皮獣研究)が見られるようになったので、その辺まだまだ掘れば色々なデータが出てきそうな気配がありますね。さらに言えば狐だけじゃなくてこの時期だと狸、兎なども盛んだったので、カナダやノルウェーの白書っぽい資料と同様に毛皮産業全般の話題をもう少し押さえておいても良かったかなと思ってます。

ノルウェーの養狐業について

 今回の同人誌では時系列データが取れるというのと為替レートがわかりやすいというのとあと何と言っても英語なのが楽、ということでカナダの統計で価格推移とか見てましたけど、ノルウェーの統計もないではなくて、1929年以降、数年おきのデータがあるのですが、それなりに興味深い数値が取れますね。特徴は樺太よりも数年遅れて始まった割にはノルウェー全域に広がっていたとか、業者数では農家の副業でやってたのが過半だけど200頭以上の大規模養狐場が約100ヶ所あったとか、個人事業が過半な中、組合方式でやっているところもあり、株式会社化していたところが156社あったとか、そんな感じです。このデータは1946年のものですけど、他の年度のデータもあるので、規模の変遷みたいなのが追えるデータになってます。
 あと、農家副業・個人事業でやっているレベルの25頭までの数が非常に多いのですが、樺太も兼業が多くて平均値で10-20頭くらいですから、ノルウェーも割と近い規模でやっていたことがわかります。

東洋養狐の話

 大北産業、樺太養狐と並ぶ大手に称された東洋養狐ですが、今回は営業報告書が見当たらなかったので諦めたものの、どうやら樺太日日新聞に何期分か不明なものの、決算公告が出ているようで、ひょっとすると東洋養狐だけでなく、大北産業のその後みたいなのもわかるかもという感じです。まだこのテーマで引張る場合には優先的に資料化してしまいたさは正直ありますね。

大北産業→樺太開発→ソ連の話

 大北産業の貝塚の養狐場が結局ソ連に接収されて1990年代まで生き残ってた話も同人誌に書きましたけど、この件は裏が取れました。初期の大北産業に入社して現場に入り、大北産業が北海道にも拡張した際に場長なった鈴木與志雄という人がいるんですが、鈴木氏は昭和17年に樺太に戻って大北の貝塚養狐場の場長、そのまま樺太開発傘下で養狐場運営、終戦後は昭和20年10月にソ連の将校から養狐場運営を任され、昭和22年8月に引き揚げるまで指導していた、という話がみつかりました。この話題はソ連側の資料を深掘りできれば良いですね。

鈴木氏と戦後の養狐業とマルハニチロ

 で、国内の養狐について戦後はどうなったかって言う話はほとんど出てこなかったし青空文庫に収録されている岸田國士「それができたら」なんかを読んでても尻すぼみなんかなと思ってそんな話をしましたけど、すみません、間違ってました。
 その鈴木氏は引き揚げ後、網走で個人事業の狐とミンクの養殖に関わって、その事業が北海道漁業公社に吸収され、北海道漁業公社は昭和40年に大洋漁業子会社の大洋ミンクと合併となりました。その後、昭和43年にミンクだけでなく養狐もやるということで日魯漁業子会社のニチロ毛皮に転職、ニチロ毛皮網走飼育場で1980年代まで養狐に関わっていたような話です。時期によっては1000枚くらいの年生算数だったようですけど、銀黒狐かどうかはわからないにしても規模だけいうなら1養殖場あたりの生産規模としては戦前を大きく上回ることになりますね。けども網走飼育場は能取湖畔の卯原内あたりで確かに航空写真ではミンク飼育場が見て取れますが、狐を1000頭回せるような養狐場は見当たらないような気がします。
 鈴木氏については晩年には「狐の神様」と呼ばれていたような記事が見当たります。

 なお、ニチロ毛皮網走飼育場は1993年(会社の清算は2009~2010年、大洋漁業子会社の大洋ミンク鶴居飼育場(他にも厚岸とか釧路とか)は2001年(会社の清算は1999年)に閉鎖されており、要はバブル期まで毛皮養殖がミンク中心に広く行われ、その中に狐の養殖もあったという格好でしょうか。
 なぜ大洋漁業や日魯漁業がミンク養殖・養狐??という話ですけど、結局ミンクも狐も餌に魚や鯨を使うのであったり、日魯漁業は北洋漁業ゆえに創業地は函館だし、函館を本拠地とする北洋漁業であるがゆえに千島でオットセイ、アシカ、ラッコの毛皮も扱いの対象に入っていて、という流れで養狐もシナジーがあるのであったり(実際、戦前の大沼養狐は日魯漁業の出資)、というあたりなんでしょうかね。大洋漁業は下関だし、あと三井物産もミンク養殖子会社作ってたんですけど、このあたりの経営判断はよくわからないところがあります。

販売ページから参考文献リンク集ダウンロードできます

 既に冊子の方をご購入の方にお知らせしきれてないような気もするのでお知らせしておきますが、BOOTHの購入ページからリンク集がダウンロード出来るようにしました。冊子だと参考資料のリンク書いてあってもクリックできるわけじゃないから意味ないなあとかと皆さんお思いになったんではないかと思いますが、私もそう思いました!なので購入特典でPDFとして配布することにいたしました。お手数ですが購入ページに再度アクセスして頂ければと思います。

今回制作した同人誌の再告知です。ぜひ買ってくださいね

 ということで、今回の記事から興味を持った方々のために販売ページへのリンクを貼っておきます。ぜひ買ってね。
→ 樺太の養狐業と養狐会社の経営実態(冊子版)
 https://massina.booth.pm/items/3315841 
→ 樺太の養狐業と養狐会社の経営実態(PDF版)
 https://massina.booth.pm/items/3929550

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