noteを始めた話

初めまして。私はインターネット上で名乗る名前を、今はmasaとしているしがない学生です(2019年12月現在)。

といっても、私はmasaという名を名乗る事にまだまだ慣れていません。
ツイッターやinstagramといった会員制SNSと呼ばれるメディアにおいて、自分の本名を掲げたり、友達や知り合いに向けて発信したりする、といったような場合でない限り、新しいアカウントを作成するという事は新しい人格を生成するのと同義だと考えています。
twitterを覗いているだけでも、無数の人格が目に入ってきますし、私もこれまでいくつかの人格を有し、時折現実でもその人格を演じていました。

さて、私が今年生み出したmasaという人格は、今まで明確な役割を与えられていませんでした。
半ば勢いで、別の人格の転生として発生した人格は、かつて保持した人格の魂を留めることが出来ずに未だ中身のない人格のまま。

その中身のない人形にこの度、私のうちの一部を詰め込んでみようと思い立ちました。
自分の脳内で幾度となく渦巻いた思考や感情、世に出ること無く私という人間と共にこの世から消えていったであろう自分の心の芯の部分を。

それ以上に、文章を書く習慣を身に着けたいという思いがnoteを始める動機となっています。
以前、星野源さんのエッセイ集で、「文章を書くのは苦手だったが、書き続けるうちに出来るようになってきた」という趣旨の文章を拝見したことがあり、それから薄っすらと文章を書いて自己を表現する事に憧れがあったのでしょう。
私は幼少期に、結果として自己表現をしたことで悪い方向に事が運んでしまったことが多く、その成果として自己表現を抑えがちな人間が生まれました。
しかしながら近年はこうした自分の特性をもどかしく思い、悩む日も多くなりつつあります。
そこで、文章を通じて自己を表現、曝け出す経験を積むことで少しずつ自分の特性を変化させていこうと考えています。
今のところ、文章を書いている途中で既に、自分がこうした文章を書くことへの恥じらいが生じつつあり、文体も全く安定しませんが、慣れてくるとこれも変わってくるのでしょうか。
それでもきっと星野源さんと同じで、書き続けるうちに見えてくる景色があると思いますし、それまでは勇気を出して文章を書き続けてみます。

生憎、自己表現が苦手な人間が演じる人格であるために、非常に拙い文章をこれから書き連ねるでしょう。
書いている自分でもまだ違和感の多い文章、無駄にそれっぽい単語を並べただけのnoteになると思います。

それでも誰かが、少なくとも私が、見ている限りは続けていけたらと考えています。
今は一日に1000字程度書いたところで集中力が切れてしまいますが、少しずつ書いてひとまとまりの文章を書けたらと思います。
宜しくお願い致します。







ちなみに近日人生初の風俗に行くつもりなのでその記録も兼ねて一つ記事を書こうと思います。


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