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世界中で日本人以外に間違われる話

話が初めて行った海外は大学2年生のトルコでした。友人と2人で約2週間トルコの西半分を回ったのですが、友人はいつも「じゃぽん」(日本人)と言われていました。私はというと二回に一回はタタール人かと聞かれました。今考えるとこれが始まりだったのかもしれません。

トルコで日本人がタタール人に間違われるというのは、そんなに珍しくない話で、いわゆるタタールスタンに住んでいるタタール人と思っているわけではなく、トルコ国内に住むエスキシェヒルというところに住むタタール人を想定して言っています。彼らはトルコ人に比べ目が細く、東の我らに似た顔つきをしています。サッカーワールドカップで人気を博したイルハン・マンスズなんかもエスキシェヒルに出自が関係する(クリミア・)タタール人です。

トルコ留学中は日本人に過剰に反応するトルコ人が、アジア系の顔つきを見るととにかく「じゃぽん、じゃぽん」(日本人、日本人)と言ってくるので、もちろん日本人と言われたことがないわけではありませんが、基本的にはやはりタタール人かカザフ人に間違われていました。最後に行った2019年は「ジャポン」はあまりなく「チンリ」(中国人)になっていましたが、日本からの観光客が減っているのでしょうか。

トルクメニスタンでは、なんと一番多く間違われたのはトルクメン人でした。よく道を聞かれたり、バスのルートを聞かれたりしました。私は浅黒い肌をしており、太めなので、確かにいないわけではないタイプかもしれませんが、それ以上に外国人がトルクメン語を話すことを想定していないというのが大きかったと思います。基本的な移動手段はタクシーでしたので、運転手と話す機会が多かったのですが、よく「降車するまでトルクメン人のふりをするゲーム」を一人でやっていました。意外と自分の身元を話す事がなければ、ばれないものでした。敏感な人は、私のトルクメン語を聞いて、ウズベク人かカザフ人だと思う人もいました。

時には、日本人と身分を明かすこともありました。そんな時には絶対に信じてもらえませんでした。運転手は、自分が乗っているトヨタ車に書いてある日本語を見せて私をテストしようとしました。何が書いてあるかを説明しても、もちろん彼は日本語がわからないので、そのテストには正解などないのですが、彼は「へー」とうなずいていました。また、ある人は、どうしても信じたくないのか、私が「日本から来ました。」ではなく「日本人です。」と言っているにもかかわらず、「日本生まれのトルクメン人」と思い込んでいました。「どこまでかたくなにトルクメン人と思い込むねん」と、九州生まれの私も思わず関西弁で突っ込みたくなるほどでした。

私の「外人力」はテュルク世界のみならず、他のアジアでも通用します。中国でレストランに行ったときには「なぜ中国語で注文しないのか」とイライラした態度を取られたことがあります。フィリピンのセブに行ったときには、現地ガイドにフィリピノ語で話しかけられ(本土の人と思ったらしい)、タイに行けばタイ人と思われました。

日本でも京都の観光地で陶芸教室を進められたり、スカイツリーのチケット購入カウンターで何度日本人だと言っても英語で最後まで説明されたりしたこともあります。

挙句の果てには、東京外大のキャンパス内で明らかに若い男の子にため口で「どこ出身?」と聞かれたので、当時28歳くらいだった私がキョトンとしていると、Where are you from?と聞かれる始末。聞くところによると、彼は入学したての1年生で留学生と友達になりたかったとのこと。日本人ですと言っても「純ジャパっすか?」(純粋ジャパニーズのことらしい。私はこの時知った。)と、まだ諦められない様子でした。私が外国人に間違われたことよりも、留学生なら年上でもため口使うことが気になったので、その場で教えてあげました。

そんな私が、ついに日本人と思われる日が来たのです。そのきっかけは結婚でした。結婚してトルクメニスタンで新婚生活を送り始めた私は、妻の横を歩くだけでまとめて日本人(そうでなくとも外国人)扱いされるようになりました。絨毯屋では通訳ガイドと間違われてコミッション払うから売ってくれといわれましたが。

(表紙の写真はトルクメニスタンの子どもたち)