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トルコで「日本人」として扱われて・外国人を外国人として扱って壁を作る日本人

トルコに留学したのは20歳の時。最初は見るものすべて、行くところ全てが異国情緒あふれていて、刺激的な生活でした。住むところも寮に決まり、留学先での日常というものを手に入れた頃です。ふと考えてみるとそこでの私の親しい友人たちはシリア人、アゼルバイジャン人、カザフ人とトルコからすると外国人ばかりでした。せっかくトルコに来たのに外国人とばかりつるんでいるなとそのころの私は思いました。今考えてみると、何人(なにじん)というのは関係なく、気の合う人と付き合えばよいのですが、そのころの私は、一生に一度のトルコ生活で「トルコ人とガッツリ付き合わねばもったいない」と思っていました。

幸いにして寮に住んでいたので、年の近いトルコ人学生との交流は多く、話す機会は多々ありました。しかし、口を開けば、「日本はどういう国だ」、「トヨタの車はいくらだ」、「父の月収はいくらだ」と質問攻めにされます。寮長のおじさんにはtsunami(ツナミならまだしも発音はトゥスナミ笑)と呼ばれていた程にその寮では日本代表でした。皆親しくしてくれるのですが、あるとき気付いたのです。皆私のことを個人として見てくれず、ジャポン(日本人)の象徴として扱われていることに。

別に悩んだりしたわけではありません。ただ少しその薄っぺらい付き合いに疲れただけです。それからは元々の友人たちと気にせず過ごす様になりました。外国人同士の方が外国では話があったりするものですし。意識せず、楽な人とだけ過ごしているうちに、実はトルコ人の友人もできました。彼らは逆に日本に全く興味を示さず、外国に関心のない人々でした(それはそれでどうなのと思わなくもない)。

日本に来る留学生の多くは、日本人の友達がなかなかできないと言います。そして私が日本人らしくないとも。なぜ私が日本人らしくないかはおそらく私が彼らを特別扱いしないからだと思います。日本人(もちろんみんなではない)は知らず知らずのうちに外国人が相手だとバリアを貼り、日本語が通じないと思いこんだり、異様に親切にしたり逆に異物扱いしたり、なんだか外国人との付き合い方が下手な気がします。普通にしてりゃいいのに。

トルコから帰ってまだ私が大学生の頃、トルコからの留学生が私たちの大学来ていました。その彼とは共通の友人も多く、時々は相手をしていました。その時偶然彼と同じ階に住むシリア人と仲が良かった(なぜかまたシリア人)ので、よく遊びに行っていたのですが、そのトルコ人の彼から「なぜ自分よりもほかのやつと仲良くするんだ」と嫉妬心をぶつけられたことがあります。私は一層彼とは気が合わないと悟り距離を取るようになりましたが、聞いてみるとやはり日本人との付き合い方がわからないとのこと。彼は田舎の出身だったのでコミュニケーションが濃厚で、日本で受け入れられず人恋しくなってしまったのだとのことでした。Bana ne.(だから何?おいらに言うな)とは思いつつも、大の大人が泣きながら訴えてくるので、大人な対応をしました(と思っている)。

特にまとめはありませんが、何が言いたいかというと、私自身を「外人として扱うくらいならほっといてくれ」というのと、外国人を「特別に扱う必要なない」ということです。これは私が思っていることであって、みんながそうすればいいと思ってるわけではありません。外国で特別扱いされたくて、それを楽しんでいる人もいるでしょうから、好きにすればいいと思いますが、持続可能な人付き合いだとは思えません。そういう意味では他民族で外国から人が入ってこないトルクメニスタンは人付き合いは素朴で私には合っていたのかもしれません。