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31歳が余命2年の脳腫瘍を克服した事実が、誰かの何かのきっかけになればと願って。|2021/11/07

僕が抱えた脳腫瘍の正式名称は「グリオブラストーマ(神経膠芽腫)
名前からして本当に強そうだけど、実際も相当手強い。(らしい)

平均余命2年、5年生存率10%

これは、既に何度も触れてきた神経膠芽腫の統計。
最近になって改めて調べてみると、診断された患者の生存期間中央値は14.6ヵ月との記載も。

僕が診断されたのは2020年1月4日なので、平均的にはもう死んでいてもおかしくないわけです。
既に人生は延長戦。言い替えれば、ギフト。本当にありがたい毎日、いまこの瞬間を過ごしているんだなあと感謝しながら、10か月ぶりにエンディングノートに向き合っています。

「寛解」「卒業」「克服」

タイトルにもした通り、脳腫瘍は克服することができました
初めて脳腫瘍を告知された2017年6月。この病は治らないものと聞かされたし、一生の付き合いになるんだろうなあと覚悟していました。
それから2年半後に悪化を告げられてからは僕にとっての「一生」って、20年後とかそんな悠長なことを言っていられない未来に終わることだってありえるんだなあとも。

一方、矛盾するようだけど「おれ、ダメかも」なんて考えたことは腫瘍の悪化が発覚して以降一度もなく。
統合医療の前田さんと出会っで治療に取り組む中で「何故、がんになったのか?」「健康な身体になって、何をするのか?」常に問い続けてきました。これも、治療の一環として。

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脳腫瘍なんてなりたくてもなれるものではないし、なりたくない人がほとんどであろう病。
診察室で、病名を(悪化したと)聞いた時はさすがにショックで言葉が出なかったのはまもなく2年を迎えるいまでも鮮明に残っています。
ただ、悲嘆して病が良くなるならとことん悲嘆してるけど、もちろんそんなはずもなく。
人生はいつか必ず完結するわけで、いつその時が来ても不思議でないんですよね。僕にとってその時期はコントロールできるものではなかったし、考えても想像や計画性でなんとかなる問題ではないので。
より良い未来のために、いまにベストを尽くして生きることのみが、僕にコントロールできることでした。

「死ぬこと」を受け止め「生きること」を考える。
この4年半で、何ものにも代え難い強烈な原体験を人生に刻み込むことができました。

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「感謝」そして「お詫び」

こうして、病と向き合うことができたのは、紛れもなく家族や仲間の存在あってこそ。
ある人は、頑張れ!大丈夫?と想いを届けてくれて。
ある人は、こんな治療あるけどどうかな?と情報を届けてくれて。
ある人は、この野菜がいいって聞いたから食べてね!とモノを届けてくれて。
中には、新聞記事を読んで見ず知らずの僕にお手紙や電話をくださった方も。

書ききれないほどの、膨大な想いを受け取り、そのすべてが僕の活力源となり生きる力となり。これからの人生は、まさにその恩返し。

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にも拘らず、こんなにも報告が遅くなったこと、本当に本当にごめんなさい。
前田さんから「もうこれは治ったと言っていいね」と言われたのは今年7月のこと。
家族をはじめ日頃から付き合いの濃い方や、想いを届けてくださった方には順々に伝えていったものの、一時期から治ったと報告することもSNSで発信することも何もかも無気力な状態になってしまっていて「ああ、あの人にも早く伝えないとなあ」と、次々に気持ちばかり大きくなっていって、燃え尽き症候群のような状態に。
治療もプロジェクトだったと考えれば、こうなるであろうことはある程度予想はついだだろうに、目指していた「寛解」に到達して次なるゴールや一歩目を完全に見失っていました。

「何故、がんになったのか?」
「健康な身体になって、何をするのか?」

大事なことはやはり、治療で常に問い続けてきたことでした。

「決意」

一年前の今日、2020年11月7日。

20201107と題して、エンディングパーティーを開催。
「今日死んで後悔することはいまやる」
「今日、感謝を伝えられずに死んで後悔する人にお声がけする」
僕が感謝を伝えたくて、僕のわがままで開催したこのイベント。

生きて、生きることを伝え続ける。

今後の人生ミッションはこれしかないと、この会を通じて心に決めました。
あれからちょうど今日で一年。(日付は変わってしまったけど)

生きることを伝えるためには、これまでの本職だった保険、学生時代から続けてきたライフセービング活動のほかにも、もっともっとできることがあると考えました。

≫人がより健康に前向きに生きられるようなコミュニティや仕組み。
≫自分の意志で治療を選択できる根拠のある情報提供。
≫「いま」この瞬間が最高に幸せと感じられるモノと体験。
≫未来をつくっていく子どもたちへの「生きる」をテーマにした授業。
≫20-30代から始める終活。

これら、僕ひとりでできることはなにひとつなくて。
お声がけいただくことや、一緒にやろうよと言ってくれる方々あってこそ。
このタイミングで、保険の仕事も環境を変えました。7年弱お世話になった環境には感謝しかないので、恩返しは今後の生き方と結果で示していきます。
人生の夢は、僕が死んでも残したいと継続したいと思ってもらえる理念と活動を残すことに決めました。
死ぬまで、いや。死んでも夢が叶ったかはわかりません。

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「再発の可能性はないの?」
これは本当によく聞かれます。

正直、そんなことわかりません。
ひとつ言えることは、信頼しているドクターと一緒に目指してきた指標をクリアできたこと。
健康な身体になる。これが達成できたのだから、もう健康体でしょう。
病にかかるかどうかは、今後の生活次第だし、その結果は神のみぞ知るし、そんなの誰だって同じ。

病は気から。
僕は、確かに病を抱えていたけど、病気ではなかったなあと。
結果論だけど、克服できたからこそ胸張って言えます。
気持ちが弱ったことはありませんでした。
本当に皆さま、ありがとうござます。

「きっかけ」

この投稿は僕自身がようやく踏み出す、きっかけ。
同時に、それが誰かの何かのきっかけになったらいいなと願っています。

人生の時間を考える、きっかけ。
いまいる環境を見直す、きっかけ。
治療や生き方を選択する、きっかけ。
家族の大切さを再認識する、きっかけ。

拙い長文に最後までお付き合いいただいた方々のどこかで何かのきっかけに。
「死ぬこと」に向き合い、「治った!生きるぞ!」と決意しながらも(4ヵ月前の決意)、葛藤し停滞する日々を過ごし、ようやく決意表明できた31歳の願いです。

エンディングノートは、まだまだ続けていきます。

脳腫瘍を卒業しても、人生絶賛終活中。
「死ぬこと」ってついつい目を背けてしまうけど、絶対いつか訪れる。
僕が死に向き合い続けることが、誰かの何かのきっかけになったらいいなあ。終活仲間も、募集してまーす!


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