戦国シスターズ落城記 2話

3 新生活 

 そして、私たちの新しい生活がこの庵寺ではじまりました。はじめのうちは、やはり警戒してほとんど外に出ず、姉と私は伯母さんが読み上げるお経を聞くばかりでした。毎日、伯母さんが父の戒名を唱え、私たちも繰り返しました。母は、菩提が違うのだろうかと、なんとなくそのあたりは言わないほうがいいと子供なりに気を使いながら、心の中ではひたすら父と母の供養を続けました。この当時は、様々な場面で男女の扱いが違うらしい、という事実は私たちもなんとなく認識していたのです。日常生活はもとより、葬祭関係だけでいっても、武家の場合女性の葬儀にはたとえ正室であっても男は参列しないとか、女性の場合回忌法要が男に比べて極端に少ないのは今も変わらないようです。
 とにかく毎日観音経だか般若心経だかをとなえ続け、丸暗記していきました。
 この北近江は、秀吉が領地として信長から与えられ、3年ほど秀吉は小谷山に留まり、湖畔に長浜城を建てはじめていました。
 伯母さんは、私たちに色んなお話をしてくれました。
 淡海を取り囲む近江の国のことだけでなく、隣にある京の都のお話。そこには「みかど」とか「くぼうさま」と呼ばれるえらい人たちがいて、「まつりごと」を行っている。男も女も大人も子供もたくさんいて、食べ物や衣を売り買いしている。お寺も神社もたくさんあって、なかには鳥が飛ぶ高さほどの塔が建っていたり、季節によって景色が変わる庭園が造られ、いろんな種類の仏様が並んだり、舶来の美しい女性の仏様もいる。
 都の南には昔都だった大和の国があり、京の都に並ぶほどのお寺、仏様もいる。
 近江の北には越前若狭の国がある。ここには海といって淡海より大きい湖が広がっている。そこには淡海ではとれないサバというたいそう珍味な魚がいて、とれ次第都に運んでいるため、農民たちの生活は苦しい・・・でも実は、カニという大きいエビみたいな生物がいて、越前では冬になるとよく食べられているらしい。
 私たちは、見たこともない都や海の話に夢中になりました。
 伯母さんは絵を描くのが上手で、都や他の国で見たものの絵を描いてくれました。
 教王護国寺の五重塔、仏体曼荼羅、法華寺の三重塔、桜井の十一面観世音、興福寺の阿修羅像、法隆寺の救世観音や如意輪観世音菩薩。
 しかしなかでも心惹かれたのは太秦広隆寺の宝冠弥勒菩薩半跏思惟像でした。これは伯母さんの絵では足を組んで指先を頬に当てている、そして頭の上には髪の毛のお団子がふたつ乗っていたのですが、正確に言うと伯母さんが描いたのは法隆寺の、今は中宮寺にある如意輪観世音菩薩だったのですが、両方見ていた伯母さんの記憶が間違っていて、似ている広隆寺の弥勒菩薩と間違えて描いてしまったようでした。ともかく私はその美しい微笑今で言うアルカイックスマイルと頭のお団子と細いウエストとしなやかな脚に魅了されました。みろくさま、弥勒さま、ミロクさま。ずっと眺めていたのでした。今で言えば、ディズニーやジブリのアニメを繰り返し観てしまうような感覚です。
「ねえ伯母さま、弥勒さまってどこにいはるん」
「大和の国やん。ここから遠いさかい」
「ううん、それは伯母さまが描いてくれた弥勒さまの仏像なんやろ。うちがいってんのは本物の弥勒さまのことなんやけど」
「それやったら兜率天やがな」
「とそつてん。どこ。大和の国なん?」
「ちゃうちゃう、天界でも上のほうや」 
「どうやっていくの。お山に登っていくの?」
「近づくけど我々人間では行かれへんわ・・・いや、ちょっと待ちや」
 伯母さんは棚の経典の奥から『二月堂縁起絵巻』という古い書物を持ち出しました。
「ああこれや。天平勝宝3年やから800年も前やけど、東大寺の実忠和尚が兜率天に迷い込んだいわれてんねん」
「どこぞの和尚さんが、弥勒さまに会わはったことあるん」
「そういうことになるな」
「どこそれどこにあるん」
「東大寺の奥の、笠置山いうとこらしいけど」
「伯母さんも行ったん」
「いや、東大寺で毘留遮那大仏さんにはお参りしたけど山は行ってへんな」
「ほなうちその山に行きたいわ。行って弥勒さまに」
「初はまだ小さいから無理やって。それにたぶんやけど行ってもあかんのちゃうかな」

 お寺からは北に故郷小谷山、その向こうには伯母さんがいってた越前若狭がある、西は淡海、南は姉川、川を越えてずーっといくと伯母さんがいってた京の都、その先に大和の国。そんなふうに私たちの頭の中は外の世界を想像していました。しかしわたしたちの東側、この方向には伊吹山という大きな山があって、その先は伯母さんも行ったことはなくて、ただ美濃とか尾張という国があることがわかっています。
 美濃は、ほとんどが山で、長良川という大きな川が流れていて、伯父信長の岐阜城があるらしい。尾張といえば、母の故郷。私たちにも流れている織田家の血の在所。みんなあんな変梃(へんてこ)な喋り方なんだろうか。
 私はよく伊吹山を眺めました。夏になっても、伊吹山の山頂は白いままでした。しかし伊吹山の山頂は、小谷山とも、淡海の向こうに見える比叡山の山並みとも、違っていました。ふつう、山は山頂を頂点とする三角形ですが、伊吹山はやや歪な台形なのです。
「伯母さん、なんで伊吹山のてっぺんはひらぺったいの?」
 きいたことがあります。
「弥勒さんが降りはるさかい。とんがってたら、安定悪いやろ」
 ええっ。あの弥勒様が、ここへ!
「いつなの。いつになったら会えるの」
「お釈迦様が入滅しはってから56億7千万年後らしいさかい、あと56億6999万8000年後やな」

 やっぱり待ちきれない。
 しかも、弥勒様ってそんなにおっきいんだ。

私と姉は、お絵かきや物語の作りあい、お江の着せ替え遊びなんかをしました。どれも姉のほうが上手で、特に姉の作ったお姫様の恋のお話やら京の都への妄想旅のお話を私はうっとりして聞いていました。今思い出してみると、賢い姉が作り上げる物語は細部まで作り込まれ最後まで破綻なくゴールしていました。

それも飽きると、私たちはお寺の中を探検しました。といっても小さなお寺なので、行ってないのは仏様が安置してあるお内陣だけでした。扉が閉められた古いお厨子があって、その中の仏様を見てみようと、姉が伯母さんに内緒で計画したのです。伯母さんが出かけたすきに、私たちは梯子をかけて厨子へ登り、姉が閂をとって扉を開けました。中から、金箔の美しい観音様がでてきました。高さは1尺5寸ほどでけっして大きくはないのですが、僅かに腰を捻ったしなやかな身体に長く薄い衣を巻いてじっと正面の一点を見つめていました。私たちはしばらく口を半開きのままぼーっと見つめていました。これは今で言うと小学生の少女が憧れのアイドルやら皇太子妃のパレードを目の前で見たような感覚でしょうか。
 そこへ、伯母さんが戻ってきました。
 私たちは、あわてて梯子から転び落ちてしまいました。
「これは、聖観世音菩薩やで」
 伯母さんは怒ることもなくいいました。
「もともと宇多天皇のご持仏、のち京極家に移り、あなたたちが生まれる前は京極丸にいはったんやで」
 小谷城のすぐ上にあった、従兄弟の一家が住んでいたところです。
「おじいちゃん、よう拝んでたわ」
 姉がいいました。
「それはお前立ちや。本物は焼けたら大変やさかいいうて、ここへ遷仏しはってん」
 私は、観音様に憧れるようになったのです。


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