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13年後の「感謝」

私は中学生の時にラジオ番組へのネタ投稿に夢中になり、それなりに採用されて、いわゆるハガキ職人でした。ある時番組の忘年会に呼ばれて、局の裏のお寿司屋さんへ行くと、メインパーソナリティーほか出演者が揃っていて、めちゃくちゃ緊張して嬉しかった私ですが、まだ中学3年なのでジュースを飲んでいると、メインパーソナリティーに呼ばれて、「君はセンスあるから、東京か大阪で放送作家になるといい」などと言われて有頂天になっていました。
地元の高校に進学する予定でしたが、親に「東京に行って放送作家になりたい」と言ったら激怒られて、とりあえず高校だけは行くことにしました。高校3年間のあいだにラジオ番組は終わり、放送作家が書いた本などを読んで勉強していた私でしたが、景山民夫さんや井上ひさしさんなどを読んでいるうちにいつのまにか放送作家というより小説家に憧れるようになりました。そこで私は大学の文学部に行くことにしました。1つだけ小説らしいものを書いてみましたが、親友に見せてもあまりパッとしなかったので、私はもっと小説を読まなければいいものは書けない、と勉強よりひたすら小説を読み、作家論などの批評も漁るように読みました。
卒業が近づき、まわりはみんな内定が決まっていきました。私は、大手の新聞社と大手の通信事業者だけ受けて、もちろん不採用で、その後は何もせず、無理に就職することはない、卒業したらバイトしながら小説書こう、などと書けそうな気もしないのに思っていました。ところが大学の就職課から呼び出され、「決まってないの、おまえくらいだぞ」と言われ、有無を言わさずファイルをめくりながら「ここなんかどうや」と言ってその場で電話、「明日うちの学生がひとり行きますわ」と面接を決めてしまいました。不動産会社でした。不動産などはまったく関心がなく、むしろ嫌いなイメージの分野です。
合格したら入社しなくてはいけなくなるので、私はあえて時間に遅れ、さらにノーネクタイ、質問にも正直に「興味がなく、知識もない」と答えました。念のため「転勤も無理です」とダメ押ししておきました。
ところが、内定になってしまいました。
しかも配属先は、もっとも敬遠していた「営業」でした。さらにその営業組織は、体育会系のボスのようなトップがパワハラ的に社員を追い詰めながら実績のみを求める、軍隊のような集団でした。休日も少なく、夜は毎日日付が変わる時間まで働きました。働かされました。
どういうわけかボスに気に入られた私は、他の社員よりは軽めのパワハラを受けながら、気が付いたら10年以上経っていました。
ひたすら利益と数字に追いまくられた年月でした。課長になり15人の部下もできました。ボスの見ている前で数字の悪い部下を大声で怒鳴り、あるいは殴ったこともありました。もう辞めたくても辞められない立場になっていました。部下が辞めていき、数字も利益も悪くなり、ボスに毎日詰められ、大酒をあおらないと眠れなくなり、病院へ行き、抗うつ剤を処方してもらいました。
ある日突然、会社が消滅しました。債務超過で民事再生になったのです。私はなにより、まずホッとしました。これでもう、利益も数字も考えなくていいんだ。
無職になった私は、そもそもなんでこんなことになったのか、冷静に昔のことを思い出しました。就職するつもりなどなかったのに、しかも全然興味がない会社に・・・いつのまにか入社していたのは、就職課で強引に面接のアポを取られたからだったな・・・そして面接に受かってしまった。また、小説なんて書こうとしていたことも思い出しました。小説のことなんて、10年以上忘れていたのです。
何か書こうとすると、ひとつしかありませんでした。言うまでもなく、この10年間のことです。
200枚の小説を、1週間ほどで書き、新人賞に送りました。それが、受賞しました。
今考えると、過酷な環境に飛び込んだきっかけになった就職課の強引な斡旋、その選択、というより流されたこと、さらに面接をうまく失敗できなかったことが、結果的に小説を書く経験になったのかもしれない。おそらく、就職せず他人の小説を読み続けていても小説は書けなかっただろう。少なくとも、受賞するような小説は書けなかった。
今となっては、13年前の強引な就職斡旋にむしろ感謝している。

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