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「鬼滅の刃」におけるブラック企業VSホワイト企業の戦い

絶大な人気を誇り、完結を迎えた漫画「鬼滅の刃」を読みました。
少年ジャンプらしい友情・努力・勝利の構図を「鬼 対 人間」という物語で語る作品ですが、世知辛い社会で生きる身としては「ブラック企業 VS  ホワイト企業」という構図にも見えてきます。
作品の舞台は大正時代ですが、現代に生きる我々にとっても有益な内容であり、漫画読者ではなく働く社畜視点でまとめてみました。
なお、若干のネタバレがあるので原作(7巻まで)及びアニメ未視聴の方はご注意下さい。

■そもそも鬼滅の刃って?

大まかに説明すると「家族を鬼に惨殺された主人公が唯一生き残った妹を人間に戻すために鬼の親玉を倒す友情・努力・勝利の少年ジャンプの王道漫画」と認識でOKです。あと、大正時代が舞台なので主人公達は刀で戦うことと、呼吸法を使いこなして強くなることを覚えておきましょう。とりあえず原作漫画を読むかアニメを見ましょう、どっちも面白いです。

■鬼殺隊VS鬼舞辻無惨

「鬼滅の刃」では鬼と戦う剣士の組織「鬼殺隊」と、鬼の首領である「鬼舞辻無惨」という2つの組織による対立構造です。鬼殺隊の隊員は修行や呼吸法で強くなっても元々は人間であり、鬼と戦うには圧倒的に不利です。対して鬼舞辻無惨と配下の鬼は人間を超越した能力を誇ります。それでも数百年に及ぶ戦いが続いた要因として、組織構造の違いが挙げられます。

■組織としての鬼殺隊 ~多様性と寛容による個性の尊重~

鬼と戦う鬼殺隊に入隊するには、文字通り命がけで選抜試験に合格しなければなりません。普通の少年だった主人公の炭治郎も、数年の修業を積んでやっと入隊できたほどです。
入隊までのハードルが高い分、待遇はきちんと整備されています。武器となる刀を個人に合わせてオーダーメイドで職人が制作、業務に必要な制服は鬼の爪や牙に耐える謎素材による特注品が支給されます。激しい戦いの後には長期休暇を取得してさらなる修行に望めるので、経験を積みながらスキルアップすることができます。
組織内でのキャリプランも明確で、一般隊士には10段階の階級が設定されています。職務の最高位である「柱」になる条件も、「強い鬼を1体倒す」「普通の鬼を50体倒す」と、明確な実力主義をとっています。
一般企業における役員・幹部クラスといえる「柱」となれば、「給料は言い値」「屋敷を支給」など破格の待遇が用意されています。こうした厚遇を求めて鬼殺隊に入隊する者もいます。

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画像:柱の集合(単行本6巻)

実力主義だけでなく個性の尊重や多様性にも注目できます。柱においては自由な服装や派手な私生活(妻が3人)という個性も許容しており、9人の柱のうち女性は2人(内1人は鬼を斬れないほど非力)であり、柱になるまで5年程度かかるところを二ヶ月で昇格した柱もいるなど、異例の出世も認めるほどです。
また、幹部である柱とは部下の隊士では明確に上下関係がありますが、柱同士における序列はありません。
人材育成においては、柱が自ら弟子をとって育成する「継ぐ子」というメンター制度があり、行進の育成にも積極的です。
鬼の討伐における命令はあれど、手段や過程は個々人に任せて方法論には口出ししないなど、従来のやり方に囚われず自由に活動できる成果主義の側面があります。
鬼殺隊の長である産屋敷(うぶやしき)様には、部下を「子供達」と呼び、亡くなった死んだ隊士の名前を全員覚えて墓参りを欠かさないなど、家父長の側面が描写されています。体が弱く鬼と戦うことはできませんが、人心掌握と高潔な人格で「お館様」と呼ばれ、柱や隊士から慕われています。
このように待遇、実力主義のキャリアプラン、個性の尊重、人材育成、組織の長における人格など、現代の企業に置き換えても「ホワイト企業」といえるでしょう。

■組織としての鬼舞辻無惨 ~典型的な昭和ブラック企業~

対して鬼を率いる鬼舞辻無惨(以後「無惨様」と表記)の場合は、典型的な昭和ブラック企業と言えます。
象徴的な場面として、作中において無惨様は、本人(鬼)の意思と関係なく、突如自分の屋敷に部下の鬼を呼び出します。そこで「なぜお前たちは鬼殺隊にやられるのか?」というという問答無用かつ唐突でありパワハラ全開な"詰め"が始まります。
ここで鬼が言い訳すれば殺され、心の中で否定すれば思考を読まれて殺され、逃げ出しても場所を把握されて殺され、やる気を見せても説得力がなければ殺されるという理不尽ぶりです。
鬼達は無惨様に心の中を読まれており、どこにいるかも把握される究極のマイクロマネジメントです。現代のテレワークでもカメラを通して常に社員を存在を把握したい企業のように、部下を信用せずに極端な監視体制を敷いています。無惨様は情報管理においても非常に厳しく、無惨様に関する情報を僅かにでも口にした時点で鬼は死ぬという厳しすぎる対策を取っています。このように成果を出せない部下(鬼)に制裁(死)を繰り返す組織管理は、営業に特化したブラック企業で見られがち光景です。その結果、個人として優秀な人材だけが出世するため育成のノウハウが蓄積されず、人材は定着しません。鬼の上級幹部的な立場にある「上弦の鬼」の6名は100年間入れ替わりがなく、下級幹部の「下弦の鬼」は入れ替わりが激しいという(というか無惨様が制裁)いつまでも成果が出ない悪循環に陥っています。

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画像:パワハラ全開の無惨様(単行本6巻)

さらにブラック企業の社長にありがちな「自分が絶対に正しい」「決定権は100%社長」という構図がよくわかる一枚です。パワハラ会議の末に詰めら(殺さ)れて惨殺されながらも、かろうじて1人の鬼が生き残りますが、読者としては「気分で決めてないか?」という、ワンマンぶりを示す場面となりました。
また、幹部の扱いにおいて鬼殺隊を対照的なのは、明確な差をつけることです。「上弦の鬼」「下弦の鬼」と明確な格付けをして、6名ずつの構成員にも1番から6番で序列を明確にしています。恐らく上を目指すためのインセンティブでしょうが、人材の入れ替わりがない辺りは逆効果な気もします。鬼殺隊では柱の中で序列を付けない点からも、対象的です。
こうして個々の戦闘力は人間よりも圧倒的に強い鬼の力を活かしきれず、組織として人材育成が機能しないためめ、ワンマン社長と古参の幹部社員のみが、新しく入る社員を使い潰す構図になっています。これは急成長したベンチャーにありがちで、創業初期の「徹夜は当然」「会社に泊まり込み」などの働き方を後から入社した社員にも強制するため、人材が定着しない構図に似ています。
こうした長年に渡る組織運営の失敗が、無惨様が最期を迎える要因と言えるでしょう。

■まとめ ~鬼殺隊と無惨様の違い~

ここまで鬼殺隊と無惨様の組織を比較しましたが、下図のように明確な対比構造となっています。

鬼殺隊と無惨様の比較

これを見ると、現代のホワイト企業とブラック企業に通じるものがあります。鬼殺隊においては厳しい面もありつつ、組織内における信頼関係が伺えます。対して無惨様は「強烈すぎるトップダウン」「部下の意見は一切聞かない」「役に立たない部下は使い捨て」に加えてあらゆるハラスメントが横行し、「失敗=死」という環境では、鬼として生きられるメリットすらも消え失せるかもしれません。
「鬼滅の刃」という作品は、純粋な子供であれば「炭治郎カッコイイ」「続きが気になる」と楽しく読める作品でも、会社でお仕事する大人になると「これってウチの会社じゃね?」「パワハラ上司を思い出すからやめてくれ」と見方が異なる作品というお話でした。

最期に組織としての鬼殺隊がホワイトでも、常に死と隣り合わせな点が恐ろしくブラックな事実は見逃して下さい。


追記:今回の記事執筆において「歴代ジャンプ漫画の悪の組織 心理的安全性ランキング」を参考にさせていただきました。
とても面白い記事なので、是非こちらもご覧下さい。


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