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田中邦衛さんと「俺コロナ」

昨年来「俺コロナ」を発端とする問題が、何件か生じてきた。実際にコロナ感染者でないとすれば、いたずらじみた幼稚な発言であると思う。大の大人が公共の場でする発言では断じてない。しかし、同時に、「俺コロナ」発言にさえ過敏に反応し、異常な対応をする社会の側にも責任の一端はある。このような「言葉狩り」は、もはや止めるべきだろう。

例えば、4月3日には東海道新幹線で「俺コロナ持っている」と主張したとされる男性がいたため、新幹線に防護服をまとった警備要員が進入するという珍事が生じた。化学兵器やバイオテロでもないのに防護服という重装備で車内を回るという事態は、明らかに異常だと多くの人の目に映るだろう。仮に男性一名がコロナ検査陽性者であったとしても、病院でもなく新幹線の中で、防護服まで着て対応する必要があるのだろうか。まさに「牛刀をもって鶏を割く」に等しい。警備の見識が問われるだろう。

社会の過剰な反応こそが、雪だるま式に危機を煽る。確かに市中感染が起こっている以上は、実際に「コロナを持っている」人は存在するだろう。この「俺コロナ」の男性がそうであるかは分からないが、一定数の確率の問題として感染者がいることは否定できない。しかし、疑心暗鬼になって誰かが「コロナを持っている」と闇雲に考えることは、健全でない。あくまでも「正しく怖れる」ことが重要であり、過度の警戒はヒステリックな反応を生じさせるだけだ。

そもそも、「俺コロナ持っている」と言ったとされる男性が、新型コロナウィルス感染症のことを指していると断定できるだろうか。コロナという一語で、感染症ウィルスのことだと自動的に考える我々の思考の方が毒されている。もしかしたら、コロナビールを持っているのかもしれないし、(故・田中邦衛さんCMの)コロナのエアコンを家に持っているのかもしれない。

「俺コロナ持っている」くらいの軽率発言が、「爆弾を仕掛けた」や「ピストルを所持している」と同程度に扱われることに今の世相の過剰さが見て取れる。そもそも、爆弾やピストルの殺傷力と、コロナは大きく異なる。また意図して銃器によって危害を加えることと、ウィルスが感染現象を通じて自然に移動することを、同列に考えることも不適切だ。

もし実際にコロナ陽性者である可能性があったとしても、「対応の程度」が妥当であるかが問われる。車内に感染者がいても、保健所の指示を仰ぐ等して、症状や発熱の有無などをきちんと確認してから、対応の必要性(対応するor対応しない)を決めればいいだけだろう。

新幹線での「俺コロナ持っている」の男性の出現とほぼ時を同じくして、俳優の田中邦衛さんの訃報に接した。田中さんは『北の国から』や『新幹線大爆破』など多くの作品に出演された国民的俳優である。

「俺コロナ」の軽率発言よりも、「ほたるー、ほたるー」と叫びながら、駅員の制止を振り切って走行中の列車に向かって線路に立ち入っていた黒板五郎さん(田中さん配役)の方が大いに問題であるはずだ。

『北の国から』シリーズを通して、田中邦衛さんは、本当の豊かさとは何か、人間が自然の中で生きることの意味とはどういうものかを我々に伝えてくれた。作品の登場人物は、おおらかで心のゆとりを持っていた。感染者数の速報と余計なコロナ流説ばかりの昨今のメディアよりも、むしろ我々は今こそ『北の国から』シリーズをじっくりと見直し、コロナ感染症のもとで失われた心のゆとりと人間性を取り戻すべきかもしれない。富良野発の鈍行列車と最新の新幹線、車窓の景色はどちらが豊かだろうか。

新幹線での「俺コロナ」は一つのエピソードにすぎない。世相に過敏に反応した表面的な言葉狩りは決して正しくない。社会の多くが余裕を失う中で、従来考えられない異常な対応が社会的に是認されることに危機感を覚えるべきだろう。コロナ禍の最中に、田中邦衛さんが世を去られたのは単なる偶然ではなく、一つの時代の終焉を意味するのかもしれない。


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