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お金と労働のジレンマ

子供の頃は、大人が自由にお金を使うことに、とても憧れを抱いたことをよく覚えている。

私は中学生の時によくコンビニで焼き鳥を買っていた。

とても少ないお小遣いをやりくりして、週になんどかだけの楽しみである焼き鳥を買う。それがとても楽しくて嬉しくて仕方がなかった。

そしてその時にはよく感じていた。
大人はいいな。自由にお金を使えて。

そして早く大人になりたいと思っていた。


私は現在大人になった。
確かに自由に使えるお金はたくさんある。
しかし、子供の時に感じていたほどの喜びは感じられなくなってしまった。

それはなぜだろうか。

こういう話題の時に、よく話が上がることがある。

子供の頃は、金がなく、大人になると時間がない。

確かに、そう言われてみれば、そうなのかもしれないが、いやよく考えてみると、やっぱり違う気がする。

子供の頃は学校で勉強して、その後部活で運動して冷静に考えてみると、それほど時間はなかったのではないだろうか。

では、なぜ今、子供の頃に足りていなかったお金は足りているのに、そして時間も足りているはずなのに、何か物足りないような気がしているのか。

その答えが先ほどわかったような気がするので、ここに記す。

それは単純に体力がなくなったからだと思う。

正直言って、子供の頃は体力が無限にあった。

宿題をするのは面倒だと思ったが、面倒だと思うばかりで、それほど嫌だとは思っていなかったし、学校で勉強するのもそれほど大変だと思った事は無い。

学校が終わったら部活でスポーツを行う。
さらに部活が終わってから友達の家に行って、ゲームをして夕飯の時間に帰る。

とんでもないスタミナだ。

では、現在はどうだろうか?
現在は仕事が終わったらもう疲労困憊である。
仕事が終わったらくたくたで家に帰って食事をし、後は寝るだけだ。

確かに子供の時のようなスタミナがあったらもっと何でもやってみたいし、ゲームもしたいし、アニメも見たいし、スポーツもしたいし、友達とずっと遊んでいたい。

でも、もうそんな事は無理なのだ。
根本的に体力がもうなくなってしまった。


子供の頃は、お金がなくて、大人になると時間がないとはよく言うが。
大人になって本当に足りないものはスタミナだと思う。

実際考えてみると、時間自体はたくさんある。
ただ、それを有効活用する体力や気力がないだけだ。

なんだ、そういうことだったのか。


そして私は現在、早く老人になりたいと思っている。

それは何故かと言うと、仕事もせずに年金暮らしで悠々自適。とてもうらやましいと思っている。

だが、それも老人になったときに気づくのだろう。

なぜあんなにも体力があったときに何もしなかったのか。

なぜ昔は早く老人になりたいなんて思っていたのだろうかと。


老人になってしまったら、おそらく今よりも体力がない。

そして、残り少ない人生に、もっとあんなことをやっておけば、よかったと、様々なことを後悔して過ごすことになるのだろう。

このようなことを考えて気づいたことがある。

やはりリアルタイムの今、現在が最も人生の中で充実している一瞬なのかもしれない。

そうなると、やはり悔いが残らないように、毎日楽しんで生活するのが1番良いのだろうが。


いや、それでもやっぱり仕事が終わった後は、もう体が動かない。
疲れ切ってできることといえば、このようなどうでもいい事を文章に残しておくことぐらいだろうか。


年齢を重ねるにつれてよくわかる。
人生を充実させるために、最も必要なものは、健康とスタミナであると。

時間が足りないと言うのは、単なる勘違いなのであった。

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