mashoe'

何の変哲も無いシンガーソングライターの、凹凸無い日常を綴ります。

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最近の記事

ギラン・バレー闘病備忘録#3『真実はいつもひとつ』

爽やかで澄んだ風に身体を押され、地面を思い切り蹴って駆け出したくなる秋晴れの朝。 大学病院へ診察を受けに、母と共に家を出る。 言うことのきかない両足にハッパをかけながら、 500mほど先にある最寄りのバス停へ一歩一歩ゆっくり進む。 約400m進んだあたりで、道路の鉄格子状の溝蓋につま先を取られ転んだ。母の肩を借りながらなんとか立ち上がり、再び歩みを進める。 この時母の顔を見ることは出来なかった。心配かけまいと気丈に振る舞ってはいたが、日に日に悪くなっていく身体の状態に嘘はつ

    • ギラン・バレー闘病備忘録#2 『この症状、絶対ウチじゃないよ!』

      最初の違和感を感じてから数週間が経ち、みるみるうちに症状は悪化し、ついには平坦な道ですら転ぶようになった。携帯を操作するのもままならない、ギターを弾くなどもっての外だ。 箸を持つことすらもできなくなっていたので、食事はフォークとスプーンだった。 食卓に並べられたのは心做しか和食が多かった。 味噌汁がいつの間にmiso soupになっていた。 そんな極限状態であるにも関わらず、あらゆる病院にたらい回しにされた。 『所見ではギラン・バレーってことはないと思いますけどねぇ』 発

      • ギラン・バレー闘病備忘録#1『馴れ初め』

        ギラン・バレー症候群を患って5年、今も私の身体には僅かに麻痺が残っている。 免疫システムが誤って自己の末梢神経を攻撃する稀な自己免疫疾患で、日本での発症率は年間10万人あたり1-2人。 この確率を前に調べたことがあるが、10万分の1の確率で宝くじが100万円当たるらしい。トータルでかかった医療費すら支払えない金額だ。なんでだよ! 忘れもしない、2017年10月11日。 スマホを触る左手の指先から力が入らなくなっていき、数週間後には歩くことさえままならなくなっていった。19歳

        • 神の使い

          延暦二年(783)、疫病〔えきびょう〕が大流行した時、 国守平松下野守(文野高島)が日本武尊〔やまとたけるのみこと〕の 神託によって、疫病退散の祈願のため一祠を建てて祀ったのが 始まりと伝えられているのは栃木県の「白鷺神社」。
 日本武尊は平安を祈りながら旅をし、命亡くなられた後、 白鷺と化し飛び立たれたとされている。
(白鷺神社HPより引用)

 その他多くの伝説が現代にまで語り継がれる白鷺。 透き通るほどに白く大きな羽を優雅に羽ばたかせ、目眩がするほどに 澄み切った青空

        ギラン・バレー闘病備忘録#3『真実はいつもひとつ』