見出し画像

ギラン・バレー闘病備忘録#3『真実はいつもひとつ』

爽やかで澄んだ風に身体を押され、地面を思い切り蹴って駆け出したくなる秋晴れの朝。
大学病院へ診察を受けに、母と共に家を出る。
言うことのきかない両足にハッパをかけながら、
500mほど先にある最寄りのバス停へ一歩一歩ゆっくり進む。

約400m進んだあたりで、道路の鉄格子状の溝蓋につま先を取られ転んだ。母の肩を借りながらなんとか立ち上がり、再び歩みを進める。
この時母の顔を見ることは出来なかった。心配かけまいと気丈に振る舞ってはいたが、日に日に悪くなっていく身体の状態に嘘はつけず、
寝起きを繰り返す度に私の視線は伏し目がちになっていた。
疲弊していく自分の表情すらも見せたくなかったのだ。


やっとの思いでバスへ乗り込み、電車を乗り継いで病院へ辿り着いた。
受付で紹介状を渡し、神経内科の診察室へ案内してもらった。これでやっと真実を突き止められる。

コナンでももう少し早くひとつの答えに辿り着いていたに違いない。
錯綜する情報に私はおろか医師でさえも踊らされていたように思えた。毛利小五郎に麻酔針を打ち、眠りの小五郎としてこの症状の全てを是非語ってもらいたいところだったがそうはいかず、ついに診察室の扉をくぐり、医師の診察が始まった。

まずは触診。痺れや痛みが無いかを問われながら、疑わしい箇所を押して
いく。軽症の場合、軍手をはめた上で触られたくらいの痺れや手のこわばりで済むそうだが、酷いケースだと触れられた感覚すら無かったり、睡眠の
邪魔になるほどの痺れが起きるそうだ。幸い、痺れや感覚麻痺の症状は全く
無かったので、特に問題は無かった。

休む間もなく"腱反射"の検査が始まる。
膝の皿の少し下あたりを、ラバーでコーティングされたハンマーのような検査器具で刺激すると、反射的に膝から先がフワっと浮く。
小学生の頃にここをチョップして足を浮かせて笑ってたな〜なんて記憶を巡らせていた後、明らかに周りの空気が一変したのが分かった。

目線を下に向けると、叩いても叩いても私の足は反応していなかったのだ。反対の足も叩いたが結果は同じだった。

『精密検査が必要ですので、少しお待ちください。』

1文字1文字が冷たく聞こえた。少し安堵もしたが、
なにか恐ろしいものが足音を立てて近づいている事実に恐怖を覚えた。
『歩くと危険ですので』 とおもむろに車椅子に乗せられ、PHSで各方面へ検査の手配をしながら持ち手を握る看護師さんに次の場所まで押してもらう。

状況を頭の中で整理する暇もないまま自分の意思と反して検査へ向かう景色はまるで、いつまでも抜けることの出来ない暗闇の迷宮へ誘われているようだった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?