ギラン・バレー闘病備忘録#1『馴れ初め』

ギラン・バレー症候群を患って5年、今も私の身体には僅かに麻痺が残っている。
免疫システムが誤って自己の末梢神経を攻撃する稀な自己免疫疾患で、日本での発症率は年間10万人あたり1-2人。
この確率を前に調べたことがあるが、10万分の1の確率で宝くじが100万円当たるらしい。トータルでかかった医療費すら支払えない金額だ。なんでだよ!

忘れもしない、2017年10月11日。
スマホを触る左手の指先から力が入らなくなっていき、数週間後には歩くことさえままならなくなっていった。19歳の誕生日を少し過ぎて、女性の厄年を迎えた頃だった。なんで?

まるで浮遊しているかのような、地に足が着かない感覚であった。
膝が笑っている。
まるでこれまで人間として積み上げてきた箸の持ち方やピースサインの作り方、シャツのボタンの留め方、歩き方。当たり前にこなしてきたこと全てが一瞬にして崩れ落ちたのを嘲笑っているようだった。

当時はギターを弾いて音楽活動をしていたので、罹患当初は酷くショックを受けたことをよく憶えている。
基本的に飽き性で、長く続いたものといえばポケモンと小学生の頃に5年間習っていた合気道くらいだった。
中学2年生の夏、部活を途中で辞め途方に暮れていた時、家にあるギターを手に取りはや5年。これで生きていく。そう誓ったのも確かこの頃だったと思う。
エドシーランやジョンメイヤーに憧れ、ただでさえ不器用な手を必死にこねくり回して真似していた。

どうにか形になってきたと思った矢先の出来事だった。

しかし不思議なことに、数日もすればケロっとしてしまうのだ。指先を使わない楽器なんて幾らでもあるだろ、と呟いてたと思う。そんなわけないだろ。普通に。

106日に及んだ入院生活と、リハビリの日々。
この病気は特効薬が無いので、基本的には点滴治療による経過観察と、週5回のリハビリで回復を促す。悪戯に過ぎてゆく時間とどんどん重くなる症状。その一日一秒はあまりに重く、暗く静かな病室で自分自身と向き合うことを余儀なくされた。


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