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自由時間ということ

こんにちは。

せっかく暖かさが増して梅雨までの今が一番過ごしやすい時期なのに、
早く花粉地獄から脱したい今日この頃です。

北の地よ、早く花粉を一掃してくれ。

というわけで、
”ましうー” に来て下さり、ありがとうございます。


つくずく思うのであります。
「自由な人っていいな」と。

なんだか力が抜けていて、自分のリズムをつかんでいて、柔軟性がありそうで、色んなことに楽しそう。

マイペースな人ともいえる。
包容力もあって、天真爛漫。ストレスなんか抱えているわけが無い。
ここまで来ると勝手な想像が過ぎていますね。

協調性が無かったり、自己中心的なところもあるかもしれないけど、
それなりの自分を持っていて、何かにつけて楽しそうに振る舞う人は、
はたから見ていて勇気づけられることもあれば、「楽しい」が伝染したりもする。

自由を手に入れているというより、
何だか色んなことに楽しそうにあたっている様子に羨ましさを感じるんでしょう。

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もちろん勝手に膨らませたイメージです。
当の本人は内面で何を抱えているかなんて周りからは解らない。

辛いこと、悲しいことに容量のほとんどを占められているのに、
精一杯の明るさをつくろっているのかもしれない。

プラスのイメージが先立って、それを維持することに負担を感じているのかもしれない。

だからそんな輝いて見える人でも、自由を満喫しているとは必ずしも言い切れない。


でも、自由は誰しもがほしいと思うし必要なことでしょう。

病床に伏せて身動きが取れないとき、自由に動けるようになったときの姿を心に描いたりする。

家柄によっては仕事を継がなければならなかったり、結婚相手を自由に決められなかったりすることもある。

時代が違ったら、宗教の選択や居住地や移動の制限、文化・娯楽の制約があったり、

戦時中の兵役や、究極は奴隷にされ人間扱いさえされない歴史だって実際にあった。

自由がないときには本当に自由が欲しくなるわけで、
ふだんはそんな気持ちが麻痺しているのかもしれない。

この時代のこの国は、表向きの自由は潤沢にあると思うのです。

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「自由」とは「自由な時間」の使い方にもむずびつくのだが、もちろんこれは自分の意のままにできる時間として利用したい。

しかし、これは案外難しいと感じる。

テレビを観る時間。恋人と過ごす時間。昼寝をする時間。雑談をする時間。酒を酌み交わす時間。スポーツに汗を流す時間。旅行をする時間。

「自由時間」とは勉強や仕事に縛られない、束縛から解放されたときと考えられる。
ある意味「休み時間」とも受け取れる。

でもいい大人になると、「自由時間」とはリラックスしたり休息するものではなく、単に自由に選択できる時間になってしまうことが多いのではないか。

テレビからネタを仕入れる人もいるし、仕事を継続するために睡眠が必要な人もいる。
酒宴や雑談から感性を育てることを狙う人もいれば、カラダを鍛えることを必要とする人もいる。
温泉や旅先の取材を仕事とするライターにとっては取材が本命となる。

なんだかこの時代、法的には自由を確保してくれていても、
本当に自由な時間の意味がよく解らなくなっているのであります。

これが幸せなのかどうかは別の問題として。
まあ、本人が満足しているのなら、それはそれでいいんでしょう。

ただ、「自由時間」を誰かと有意義な方向で共有できたら、これは素晴らしいことだと思うんです。

特に目的があるわけでもなく、ただ一緒にいる。

友人とか家族なんかは、これが基本にあるんでしょうね。


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