大野晋『日本語と私』
『日本語と私』は、日本語学者・大野晋の自伝です(写真右)。
拾い読みするつもりで本棚から取り出すと、つい読み通してしまう、そんな本です。大野の文章を読むと、ははぁ、文章が美しく読みやすいというのは、こういうことを言うんだなと感じます。
大野は深川の砂糖問屋に生まれました。
話はその深川で、下町の四季を彩る様々な催しに触れた幼少期の思い出から始まります。さらに同級生に先生、図書館の食堂のおじさんとのエピソード、読んだ本に進学の話、と続き、進学してからは、下町と山手の違いに恐れ慄き、「少力」であることに泣いた話が語られます。実にいきいきと大野の半生が語られ、どのように日本語学者大野晋が誕生したのかを知ることができます。
私個人は「少力」の話が印象に残りました。上の学校に進学してみると、得意だったもの、好きだったもので自分よりずっと優位な者がいる、おまけに親は資産家だったり、大学出であったりする(地位や資産や学を多く持っている者は「多力」)。だんだん自分には何もない、何もできないのではないかと大野は絶望の淵に立っていたのです。いかにして大野が日本語学に進むようになったのか、ここで絶望していた少年に射す光明のように「万葉集」が現れるのですが、まぁご自身でお読みになってください。おもしろいから。
後半は、戦後新制大学が発足し、教鞭を取るようになった女子大での日々、『岩波古語辞典』編集とタミル語との出会いなどなど、前半とは打って変わって明るい調子になります。大野自身の迷いがなくなり、戦争も終わり、進むべき道が明確になったからでしょうね。
で、別にこの本の紹介だけがしたかったワケじゃないのです。最近気がついたことがありまして。
川村二郎『孤高 国語学者大野晋の生涯』
この評伝の存在に最近気がついたのです。
プロローグは、大野がタミル語説検証のフィールドワークのために、テレビクルーと共にインドに向かう場面から始まります。機内でも興奮冷めやらず、到着した後は精力的にフィールドワークに取り組む様が描かれています。
ここまではいいのです。
第1章、大野の生家である砂糖問屋の描写から始まるのですが、なんとも読みづらい。当時の深川の紹介なのか、実家の問屋の紹介なのか、そして誰の視点なのか。かなり交錯しているように感じます。まぁでも、大野が生まれる前の部分なので、描きづらいのは仕方ないのかもしれません。進みます。
次は、大野が親しんだ催しの紹介をする文章です。
ここを読んだとき、猛烈な既視感を覚えました。『日本語と私』(手元にあるのは新潮文庫版)を開くと、p28に次のようにあります。
読み進めると、『孤高』にはこのような、『私』から流用・剽窃した文章が多数見られます。
丸々の引き写しにならないよう、意図的に語句や文末表現の入れ替えが行われている他、切り取られて別の箇所に挿入された文も存在しますが、明らかな剽窃です。
先に『孤高』は読みづらい、と書きましたが、下敷きにした資料を編者(もう川村を著者とは呼びたくない)が咀嚼できてない(というよりほぼ齧っては吐き出してる)ため、視点がさまざまな文が混在しています。引用した箇所などは完全に大野の視点から書かれた文章ですが(自伝から引っ張ってきたのだから当然)、他の箇所では川村の視点から「大野は」と語られていて、とにかく視点が頻繁に切り替わる。資料をモザイク様に組み合わせているからです。そのせいで、原文が持っていたリズムや流れが台無しになっています。
あとがきに、「前半部分の記述で大野さんの著書『日本語と私』に助けられたことを記しておく」とあります。たしかに幼少期から学生時代までは、利用できる資料が限られているんでしょうが、ご覧になった通り、「参考にした」レベルではありません。驚いちゃうのは、剽窃した箇所があるかと思えば、『私』を正々堂々と引用しているところがあって、いったいどういうつもりなのか理解に苦しみます。
個人的には、大野自身が書かなかったことが記されていたり、晩年になってから大野自身が回想した際の発言が付け加えられていたり、読書体験として別につまらなかったわけではありませんが。おしまい。
↑剽窃のくせに本人の本よりたけぇ!
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