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「きらら専門ライター」の仮面を被り続けた男の末路

きらら展FINAL行ってきました!たのしかった(小並感)

前の図録で書かせていただいたあfろ先生、得能正太郎先生のインタビューが差し替えられてしまったのは残念ですが、新しく掲載されているのが『ぼっち・ざ・ろっく!』のはまじあき先生と『まちカドまぞく』の伊藤いづも先生のインタビューなら仕方ない。

第一回のときはどちらもアニメ化されておらず、『ぼっち・ざ・ろっく』は大阪開催からの追加作品だった。それが今やきららの看板を背負う作品に。きらら展は独立創刊15周年の歴史を振り返るイベントだったけど、そこから5年経ってさらに歴史が蓄積されている。

※このツイート以外にも「サイン会外れたのできらら出禁になった」とか「新潟開催のときは招待券もらえたのに今回はもらえなかった」とか書いたのは全部冗談です。きらら編集部との間に確執もトラブルも一切ありません。

2年前にライター引退報告をしたものの、どうしてやめたのかはっきり書いていなかった。ネガティブな理由だし、書くとライターの活動を評価してくださっていた方を幻滅させてしまうかもしれない。だけど、図録で記事を書かせてもらってライターを続けていく原動力になっていたきらら展が終わり、その記事も差し替えられて過去のものになった今、書いてもいいのかなと思った。

この記事では前回の記事(第一回きらら展)以降に実施した思い入れのあるインタビューについてや、「何かを始めるのに遅すぎることはない」なんてイキッておきながら結局ライターをやめた理由などを書き残しておこうと思う。

長くて読む気にならない人向けの結論。僕は「きらら専門ライター」でも何でもなくて、気が向いたときに記事を書くだけのフリーターでした。


2019/4 相崎うたう先生×くろば・U先生対談

第一回きらら展が終わったあとにねとらぼに企画を出して、一度ボツになってます。理由は「編集部の誰も(どうびじゅを)読んでないからやる価値があるか判断できない」。

悲しいかな、アニメ化されていないきらら作品の認知度なんてそんなもんなのよね。企画を持ってきたのが無名のライターならなおさら。きらら展の図録で記事を書いたことだって、きらら読者以外には「だから何?」だろうし。

誤解を恐れずに言えば、そこから約半年の仕事は全部この対談の企画を通すためだった。『ゆゆ式』インタビューはねとらぼでの実績を積むためだし、『ぼっち・ざ・ろっく!』インタビューは担当さんがどうびじゅと同じ方だと知っていたから。

大学も就職も入れそうなところに入っただけだから、目標を叶えるために努力したことってほとんどなかった気がする。もう一度企画を出して、「ましろさんがそこまで言うなら」とねとらぼの編集さんにOKをもらえたときは人生で一番達成感があった。対談当日も、相崎うたう先生は差し入れのお菓子を持ってきてくださったり終了後に爆速でお礼のDMを送ってくださったり本当にいい人だったし、くろば・U先生はこちらから振らなくてもどうびじゅについて早口で語っていただけてありがたかった。

心残りがあるとすれば、どうびじゅ連載終了の理由について質問したとき場を微妙な空気にしてしまったことと、記事の「諸々の条件を鑑みて」という発言が一部で変な切り取られ方をしてしまったこと。対談の内容とは無関係だから、聞かなくてよかったし載せなくてもよかったと思う。

2019/6 伊藤いづも先生インタビュー

『まちカドまぞく』のアニメ放送まで数ヶ月を切ったころ。伊藤いづも先生が長野在住であることは知っていたのでインタビューするのは難しいかもと思いつつ、他のライターさんがやるくらいなら自分がやりたいとTwitterで愚痴っていたらコミスぺの編集さんに「やりましょう」と背中を押してもらい実現。そのツイートが5chで「何様だこいつ」と叩かれてたことは後で知りました。気持ちはわかる。

贔屓目に見ても「まんがタイムきらら」は特殊なマンガ雑誌だと思う。何せ4コマしか載ってない。作家さんの中には編集部からスカウトされるまで4コマを描いたことがない方もいて、表現が制約される4コマを窮屈に感じたのかきららを離れて行ってしまう方も多い。そうした作家さんが他社でブレイクすると、4コマの存在自体を否定されたみたいでかなしかった。

小さなコマに情報量をこれでもかと詰め込んでいる伊藤いづも先生が4コマをどう考えているのか。本当はストーリーマンガで伸び伸びと描きたいじゃないのか。インタビューで質問するのが少し怖かったけど、伊藤いづも先生は誰よりも4コマを理解して愛していたし、この方が描き続けてくれる限りきららは大丈夫だとそのとき確信した。公開前に記事のチェックを依頼したとき、伊藤いづも先生がきららの現状について苦言込みの熱い想いを書き足していて、担当さんがそれを削除した跡がWordの編集履歴から見えたのもちょっと面白かったです。

2020/8 きらら編集長インタビュー

きららの小林編集長へのインタビューは、「What's in Tokyo?」の編集さんのほうから声をかけていただきました。創立70周年を迎えた芳文社への取材企画を考えているので誰か紹介してくれないか、と。きららの一番偉い人にインタビューできたのはもちろん、芳文社・きららに取材するならこのライターだと他のメディアの人にも認知されていたのが嬉しかった。

インタビュー記事に載っていないことは公開するべきではないかもしれないけど1つだけ。きららの系列誌が多い理由について、「週に1回はきららが書店に並ぶ状況を作りたかった」「最初から作家が揃っていたら『週刊まんがタイムきらら』にするつもりだった」「他社は1・2誌しか4コマ誌を出さなかったから長続きしなかった」と小林さんが話していたのを今でもときどき思い出す。

かつては20誌近くあった4コマ誌も今や半分以下になり、芳文社以外で残っているのは「まんがライフオリジナル」と「主任がゆく!スペシャル」のみ(コミックキューン、だいおうじはもはや4コマ誌じゃないと思ってる)。一方で芳文社は休刊した雑誌もあるものの、きらら系、ファミリー系どちらも3誌ずつ残っていて、小林さんが4年前に言っていた通りになっている。逆にいえば、きららもここから1誌でも休刊すると一気に崩れてしまうのかもしれない。がんばってほしい。

2021/12 くろば・U先生インタビュー

対談の際、相崎先生にインタビューするためのエサみたいな形でくろば先生を使ってしまったのが申し訳なく、埋め合わせにもならないだろうけどいつか単独でもインタビューしたいとずっと思っていた。

ねとらぼの新しい編集さんと反りが合わずに(評価されていないことが言動の節々から伝わってくる、提出した記事が原型のないレベルで書き直されている、…)疎遠になりかけていたのですが、運よく別の編集さんに興味を持っていただきました。企画書の「日常系部活ものが終わったあとの物語」という一文が琴線に引っかかったらしい。

企画を出してから記事が公開されるまでの間、ずっと照先輩について考えていた気がする。インタビュー当日も、いったん照先輩に関する質問が終わって別の話題になったのに、流れを遮って「もっと照先輩のこと聞いてもいいですか?」と無理やり聞いてくろば先生に苦笑いされた(ごめんなさい)。自分でも気持ち悪いと思うけど、入稿前に記事を読み返していたら涙がこぼれてきた。

無事に記事が公開されたときは、相崎先生との対談記事のときとは別の達成感があり、この記事を世に出せたことでライターとしてやりたいことは全部やりきった気持ちになった。

2022/8 ライターをやめる&転職

ある意味ここから本題。どれだけいるかわからないけど、ライター時代の活動を評価してくださっていた方にとっては幻滅する内容かもしれないのでご注意ください。

ライターをやめようと思った理由は大きく分けて3つあります。

  • 将来への不安

ふわっとしてるけど一番はこれ。

ライターとしての収入は一番多かったときでも月に12万円。基本的には月に3万円もあればいいほうで、ゼロの月も多かった。生活費はフルタイムで入っていた書店のアルバイト代で賄っていたので、フリーライターではなく実質フリーターだったのだけど、Twitterでは見栄を張って「きらら専門ライター」みたいな顔をしていた。ライターの仕事がないというより、そもそもライターの仕事を探していなかった。

たまにインタビュー記事を書いてTwitterでシェアされるだけで承認欲求が満たされたし、バイト先の書店は潰れる寸前で人間関係もギクシャクしていたけど何の責任もないから気楽だった。そんな生活を数年続けていたらあっという間に34歳。10月の誕生日を迎えたら35歳になる。自分がアラフォー…?野原ひろしと同い年…?そう気づいた途端、今の生活を続けていくのが急に怖くなった。

  • 書きたい記事は書ききった

昨年末のくろば先生インタビューの時点でほぼ燃え尽きていて、3月にKAI-YOUで猫にゃん先生にもインタビューできて。その次のインタビュー企画が何も浮かばなかった。ネガティブな意味ではなく、それだけ多くのインタビューを実現できたことの裏返しでもある。

『またぞろ。』の幌田先生や『マグロちゃんは食べられたい!』のはも先生の話は聞いてみたかったけれど、単行本が出るまでライターとアルバイトの生活を続ける気力は残っていなかった。今はブログやSNSや動画配信で情報発信する作家さんも増えているし、自分が人生をかけてまでライターを続ける必要はなくなったんじゃないかと思う。

  • 書くことが好きじゃないと気づいた

大学卒業後はIT企業に就職してプログラマーやSEをしていたけど、色々あって7年半で退職。会社勤めに自信をなくしていたこともあり、30歳になる直前でライターになった。学生時代に小説サイトやブログを運営したりもしていたので、文章を書く仕事には昔から興味があったし、それなりにやれる自信もあった。

だけどいざ原稿料が発生する記事を書いてみると、1000文字書いただけでものすごく体力を使うし時間もかかる。こんなスピードじゃ納品に間に合わないしとても生活できないと今さら焦り始めてノンストップライティングだのポモドーロテクニックだの色々試したものの、全然早くならない。

そのときようやく、自分って別に書くのが好きじゃなかったんだと気づいた。好きを仕事にすると辛くなるというのとも違くて、絵や音楽の才能がないから「書く」しか選択肢がなかっただけなのを得意だと勘違いしていた。

ライター時代の仕事の大半が、きらら作品や4コマ作品のインタビュー記事なのもそれが理由です。基本的に取材して文字に起こすだけだからコラムやレビューほど構成に頭を使わないし、好きな作品だから下調べも苦にならない。反対に、たまにメディアの編集さんからの依頼で守備範囲外の作品のインタビューをしたときは、事前準備が足りずに失敗したことも多い。マンガと無関係なインタビューは、興味がないからやろうとも思わなかった。

ライターに向いていないことはわかっていたから、やめようと決めてからの行動は我ながら早かった。6月にアルバイトもやめて2ヶ月近く転職活動をした後、8月に今の会社に転職。『ヒーローさんと元女幹部さん』の最終巻が出る時期と重なったので、百合ナビでのそめちめ先生インタビューを最後の仕事にさせていただきました。

記事の公開後にTwitterで引退報告をしたときは、過去にインタビューした作家さんを含めてたくさんの方に「お疲れ様でした」と言ってもらえてすごく嬉しかったです。今回またこういう記事を書くと、二度目の「お疲れ様でした」をカツアゲしているみたいだけど許してほしい。

2024/9現在 きららを読まなくなる

ライターをやめた直後は喪失感もあり、きらら読者さんとの交流を増やしてみたりもした。閑咲あめさんの虚無ラジオに出演したり、すとらさんのDiscordきらら部屋に入ったり、Twitterスペースで千草キノさんとお話ししたり。だけど根本的にコミュ障なのでどれも1~2回でやらなくなってしまった。あれから2年経ってTwitterのツイートも少なくなり、ましろというライターがいたこともだいぶ忘れ去られていると思う。

この2年で特に変わったのは、きららをあまり読まなくなったこと。COMIC FUZの月額プランは続けているものの、『キルミーベイベー』など昔から続いている作品をたまに読むくらい。新連載や、編集部が推している作品を読んでもいまいちピンとこず、今の若い子はこういうのが好きなのね…とジェネレーションギャップを感じる。

きららがつまらなくなったんじゃなくて、きららの想定する読者層から自分が外れてきているんだろう。今のきららを面白いと感じている人たちがいて、実際に売れているのであればそれでいい。ターゲット外のおじさんがとやかく言う資格はない。

相崎うたう先生の大ファンだったとある人が、相崎先生のツイートが少なくなったころから「昔はリプを返してくれた」とか「読者を見捨てた」とか延々と恨み言を書き連ねるようになったときは本気で通報しようか迷ったし、反転アンチというものの怖さを感じた。

ああはなるまいと思っていたはずなのに、気がつくとTwitterにきららへの不満を書きそうになっている。このままだといつか自分もあんなモンスターになってしまうかもしれない。まだ人の形を保っているうちに、きららが好きと胸を張って言えるうちにTwitterから少し離れようと思います。アカウントは消さないけど、今まで以上にツイートは少なくなると思う。

おわりに

いわゆる働き盛りである30~35歳の期間を実質フリーターとして過ごしたことは、これから先ボディブローのように効いてくると思う。5年間で貯金もスキルも一切増えていない。増えたのは白髪だけ。昔のようにまた資格の勉強を始めてみても、明らかに集中力がなくなっている。「何かを始めるのに遅すぎることはない」なんてイキッたけど、どうせやるなら早いほうがいいに決まっている。

だけど、後悔はしていません。一度でもライターをしなければ向いていないことにも気づけなかっただろうし、ライターにならなければできない経験を何度もさせてもらった。今の仕事でちょっと嫌なことがあっても「まあ昔きらら展の図録で記事を書いたしな…」ってなるし、むかつく人に会っても「そんな口きいていいのか?私は『ぼっち・ざ・ろっく!』のはまじあき先生にインタビューした身だぞ」ってなれる。自分が死んだときは棺桶にきらら展の図録を入れてください。書いた記事が載っている古いほうを。

この記事で言及した以外にも、思い入れのあるインタビューはたくさんあります。鴻巣覚先生にはインタビュー自体をマンガにしていただいたおかげで、兎川ぬればさんという形で間接的にきららデビューできた。インタビュー当時は素性が謎に包まれていた大熊らすこ先生が、後にTwitterとYoutubeを始めて老師になるとは夢にも思わなかった。猫にゃん先生へのインタビューをきっかけに特撮を観るようになり、特撮胡乱ツイートをすると「ましろさん、嘘だよな…?」と反応がもらえて楽しかった。

素人同然の人間のインタビューに答えてくださった作家の皆さん、記事を読んでくださった読者の皆さん。ありがとうございました。だけど、いい加減にそろそろちゃんと働きます。

最後に。ブログも当面は残しておきますが、いつ消えるかわからないので気になる記事はローカルに保存していただけると嬉しいです。コミスぺ!やねとらぼ、KAI-YOUで書いた記事も同様。

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