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私の芸術の楽しみ方

美術館に行くのがこんなに楽しいことだって
去年やっと知った。

母はどんな勉学も進んでする人だったが、
特に西洋美術が好きだった。

ヨーロッパ圏に旅行に行けば、
美術館はもちろんのこと、
街中のとても小さな教会にも必ず立ち寄った。

教会には必ず画家たちの描いた
大きな宗教画が壁面にいくつも飾られている。

そんなものに興味のない私は、
小さな教会をマップから探すのだけが
楽しかった。

美術館においても、
母は日本の自宅で学んだ知識を
たくさん私に話してくれていたように思う。

でも、
キリストがどうのとか、
ユダがどうのとか、
なんちゃら二世や三世がどうのとか、
そんな偉人たちの教えは私の眼中にはない。

キリスト教で唯一興味があったのは
クリスマスくらいのものだ。
それも商業的な意味合いでのみ。

ただ唯一記憶に刻まれているのは、
キリストが磔にされる絵画が並べられた部屋は
私の身体になんらかの影響を与え、
体力をどん底まで突き落とした。

海外旅行中にも関わらず、
私は大抵そのあとすぐにホテルに退散し、
ベッドに横たわることになる。

あれは実に不思議な現象だ。

そんなキリストの死は、
私をさらに芸術から、美術館から遠ざけた。

現代美術にはたまに触れるようにしていたが、
それもどこか自分に嘘をつく感覚だった。

芸術を鑑賞することがどこか崇高にも思えて、
それをしている自分に酔いたかっただけだろう。


でも、そんな私の芸術への関心を
大切な友人が変えてくれた。


彼女自身も美術史に詳しいわけではないだろう。

でも、彼女と美術に触れると、
私自身がとても自然体で鑑賞できる。

美術史のことも、
宗教のことも、
作家のことすら、よく知らない。

それでも感じることはできる。

時に

「あの絵画の人、あの先生に似てない?」

とかしょうもないことを話しつつ、
お互いの気付きをそっと話し合う。

「ヨーロッパだと狩猟が盛んだから、
 絵画に描かれるのもこの犬が多いんだね。」

「クジャクは何かの象徴なのかな。
 あっちの絵にも描かれてるよ。」

「私、この絵が好き。ましろは?」
「私はさっきあったあれかな」

美術館は複数人で訪れたとしても、
一緒のペースで見る必要は全くないと思ってる。

だけど、彼女とはほぼほぼ同じペース。

楽しみ方のペースですら、ほぼ同じだろう。


海外の美術館では、
作品の前で子供たちや学生たちも座り込み、
熱心に模写していたり、
作品を眺めていたりする。

でも、日本における美術館は
敷居も料金も高いように感じる。

芸術品の管理や維持には
高額な費用が必要だというのは
うっすら分かっているものの、
それこそ税金を使っていいと思う。

その代わり、
もっと芸術に触れる場を開放的なものとし、
小さい頃からどんな人にとっても
親しみのある場として提供してもらいたい。


31歳でやっと美術館が楽しいと思えたのは
遅かったのか、早かったのか。

これからいくらでも
芸術を楽しむ機会はあるだろうけど、
もう行けないであろう場所もたくさんある。

そこでももっと興味関心を持っていたら、、、
と後悔もあるけど、

今は彼女とこのペースを保ちながら、
お互いの見解を囁き合うのが、

私の芸術の楽しみ方だ。


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