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天沢ましろ
2021年10月10日 01:58
忘れられない言葉がある。中学3年の夏休みが終わる頃。私は母と一緒に学校へ行き、来客用の会議室に通された。教頭と学年主任と担任が長机に並んで腰掛け、私と母は向かいに座る。前期に登校拒否をした私の進捗と、後期をどうするのか、という話し合いの場だった。学校側の言いたいことは簡単に予想できた。このまま後期も欠席が続くようなら卒業が難しくなる。もしくは高校へ進めなくなる。(中高一貫校のため)その上で一体
2021年10月10日 01:54
次から次へと景色が流れる車の中、私は助手席で窓の外を眺めていた。運転している人の存在を感じまいと外と自分の思考に潜り込んでいたかった。まだしばらくは目的地に着かないだろう。高校卒業して留学から帰ってきたのに、新たな場所を探さないといけなかった。自分でやりたいと言った事が「逃げ」だったと認めざるを得ない。数年滞在するはずが数ヶ月で帰国して、もう何もしたくなかった。それでもどこかへ行かなければ。親