サウナ好きの若者、マジで無能しかいない件

表題の通りです。
サウナ好きを公言するやつで仕事が出来る人間、マジでいない。

正確に言うと「サウナで仕事の効率が上がる」とか言うやつに仕事のできる人間、マジで0人説。

今日はサウナにハマるやつはなんで揃いも揃って仕事が出来ないくせにtwitterではビジネスビジネスうるさいのかって話をします。

もともとハイパー仕事できる人外ビジネスマンがサウナに入り始めました、は例外ね。そいつらはサウナなんて入んなくてもバシバシ数字取ってバカスカ金稼いでオンラインサロン開いたりコンサルしてっから。

今頃サウナ入りながら「次は何でバカ騙しますwww?コーヒーにこだわらせますwwww?」とか話してっから、サウナブームけしかけたやつらは。

なんでこんな過激な事言い出したかというと僕がサウナ好きの無能ビジネスマンだからっすね。適当なグラフと恣意的に切り取った前後比較でお賃金を頂いています。

行ったサウナの紹介とかは↑でオナシャス。

サウナという新興宗教

この文章を読んでくれているあなたならサウナブーム、ととのう、サ道といった単語を聞いたことがあると思う。

なぜ数年前まで太ったおっさんがコソコソやる趣味だったものがこうもナウでヤングなインフルエンサーが流行らせ、若者に受けたのだろうか。

なぜ体温、血圧を乱高下させて失神寸前になる危険極まりない状態が「ととのう」などとあたかも健康にいいような言われ方をされているのだろうか。

単純だ、サウナというのは新興宗教だからだ。

それもSNSという高度に発達した勧誘ネットワークと全国各地に宗教施設を持つかなり強い宗教だ。

人が宗教にハマる理由として承認と所属の安心がある。
宗教コミュニティ内にいれば周りには志を共にする仲間がいて承認され、居場所と役割が与えられる。
これは自分の在り方を自分で考えなければいけない現代人にとってかなりありがたいシステムだ。

人は自分がどうしたいか、何をすればいいかを自分で考えて判断できない。

これと同じ事がサウナにも言える。
「サウナー」という肩書を与えられ、自分が行ったサウナについて情報を共有するという役割が与えられる。

サウナに行くことは自分で考えることなく社会に所属できるのだ。

また、わざわざ健康に害を与えてまで精神的な安定を求めるところなどは完全にヤバい宗教と同じである。

血圧乱高下失神行為である「ととのう」にはコミュニティ内での自分の地位を示す役割もある。

サウナ施設で若い男数人が「整ったわ~~~ww」と大声で威嚇しあう光景を見た事がある方も多いだろう。

サウナは努力をせずとも幻想の成果を与えてくれる

無能ビジネスマンほどサウナにハマる理由はこれだ。

サウナは入浴料を払い、サウナ室に入ればだれでも「ととのった」という成果を出してSNSというコミュニティに報告できる。

この「ととのい」は定量的なものでなく定性的なものであるため、自分がととのったと言えば結果は出るのだ。

日頃数字で評価されてるビジネスマン、確かにたまには数字から離れたい気持ちもわかる。

わかるが、その定性的なととのいをいくら積み重ねても君の職場での評価は上がらない。

サウナに入ってる暇があれば1円でも数字を積むことをオススメする。自律神経の前に収入と支出のバランスをととのえろ。

なぜ筋トレはここまでブームにならなかったのか

サウナブームと同タイミングで「筋トレブーム」が起こりかけた、出来るビジネスマンはマッチョ、社長はみんなジムに行ってるというアレだ。

なぜアレはそんなに流行らなかったのか。

単純である、筋トレは努力が必要だからだ。

ジムに行くだけでは筋肉はつかない、SNSで自慢するためには筋肉をつける必要がある。

そして筋肉というのは定性的な評価ではなく定量的な評価がなされる。
体重、持てる重量、筋肉の大きさ・・・数え始めるとキリがないがとにかく数値で評価される。

ジムに行き「ジムなう」とつぶやくだけでは居場所も承認ももらえないのだ。

我々無能な若者は努力をせずにみんなからチヤホヤされたいのだ。
サウナであればお金を払って適当に風呂に入り「ととのった~」とSNSに投稿してビールでも飲んでいればチヤホヤしてもらえるが筋トレはそうはいかない。

ジムに行き、クッソ重いものを持ち上げ、鶏むね肉を食べる必要がある。

そんな努力をサウナに逃げた無能が出来るわけがないのだ。

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