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自己肯定感というのは「どうでもいいや」が増えること

「自己肯定感を上げよう」運動にげっそりしていた。

自分を認めよう、自分を愛そう、受け入れよう、ありのままでいい。

はぁ…というため息と、はぁ…?という怒りのような焦りのような。

いろんなネット記事を漁り、アドラー心理学の本を読み、やり方みたいなことはわかる。理論もわかる。ただ、全然自分のなかに落とし込めなかった。腑に落ちなかった。

そこから、こんなに苦しいんだったら自己肯定感という「言葉」にとらわれるのをやめよう! と思い始める。
とにかく自分に対する何かを一生懸命やればいいっぽいぞ、みたいな。

人間関係の整理、人との対話、体質改善、運動、肌やファッションの勉強、習い事、新しい友だち作り、複業、etc

たぶん3年くらいもがいた結果、自己肯定感という言葉に過敏にならなくなった。

自分のことは大切、でも愛しているかと言われると違う気がしている。なんか、そんな大袈裟な言い方しなくてもさ……愛ってめちゃくちゃ大きいじゃないですか。それをまるっと全部自分に向けられてるか? みたいなプレッシャーがあったのよね。

いまだに周りの目が気にならなくなるわけでもないし、他人の意見が耳に入らなくなるわけでもないけど、「まぁ、どうでもいいかな〜」と思えることが増えた。

そのくらいの気持ちになることで「受け入れられる自分」も増えてきた。

ずっとやりたくて足踏みしてた髪型。丸顔だから、童顔だから、髪質のせいで思った感じにならないから。いろいろ気にしてたけど急に「なんか〜どうでもいいや〜」ってなった次の日には美容室に行ってた。

他にも。
ちょっと太ってきたことも、たまにめっちゃむくみが取れて痩せて見える日も、あごにでっかにニキビができた日も、メイク可愛くできた日も、どんな日も過剰に良し悪しを判断しなくなってるなぁと気づいた。
ベースが「今日もいい感じよ〜」と思っている。


あと、自分を取り巻く環境を変えたのも大きい。
周りから、太っただの痩せただの。
あの頃の髪型がかわいかっただの。
服やメイクが派手だの。
似合う似合わないだの。
変わり者だの真面目すぎるだの。

不意に評価される機会が減ってきた(※)ことで自分の意思が戻ってきたのかな? と思う。
(※簡単に言うと「うるせぇ!!!」と感じることを言う人が減った)
嬉しいときもあるけど、不意にっていうのがミソ。受け止める準備がない状態での他人からの評価は攻撃力が高いことが多い。

昔インスタの質問回答で、OKAMOTO’Sのハマくんが話していたことを置いておきます。うろ覚えだから言葉は違うけど、たしかこういうニュアンスだった。お気に入り。

「太った?て言ってくる人がいっぱいいるんだけど…
うん、太ったけど。だからなに?あなたに関係ありますか?
人の見た目にいちいち口出すのって無神経だし失礼ですよ」


好きな日に好きな服を着て、痩せようが太ろうが今はこれでいいと思えばそれでいいし、チャレンジしたいことがあれば飛び込むし。

自分で見て、自分で判断して、自分で行動する。
とても心が健やかである。

そしていま、久しぶりに着たお気に入りのワンピースの「おや?」感がすごい。思わぬところに肉がついている。

ありのままを受け入れすぎたね。ちょっと散歩を増やしましょうかね…


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