うつ病から学んだ人間関係の本質。
バーンアウト、燃え尽き症候群、適応障害、うつ病。
自分を曲げるくらいなら死んだ方がマシ。
そのくらい曲げることが嫌だった。
そんな人一倍こだわりの強い私は、
他者と衝突することも多く、
だけど争いは避けたいという矛盾に陥り、
幾度となく精神を壊してきた。
何度自分の頑固さを呪っただろうか。
だけど、それと同じくらい何度自分の信念に従っていけただろうか。
生きづらさを努力で克服しようとしていたが、
努力でどうこうなるものではなかった。
それに気づいたのは、
うつ病から回復しはじめの、
部屋の扉を開けた時に起こった。
あぁ、そういうことだったのか。
ストンとその理が腹に落ちたのだった。
***
それまで、人間関係やコミュニケーションについてたくさん学んできた。
自分を曲げるつもりはなかったが、
このままでいいとも思ってなかった。
よりよい人間関係とはどのようなものだろうか。
自問自答を繰り返してきた。
私は誰かと話をするとき、
どちらが正しいか?
何が正しいか?
をはっきりさせたかった。
この世には真理があって、
それに従うべきだと思っていた。
不倫や違法行為や人を貶めることを嫌悪した。
そしてそんな他人を裁こうとしていたのだ。
結果として社会から外されるハメになった。
うつ病で誰とも話さず、
ただただ天井を眺めていた。
孤独にはもう慣れていた。
何もやる気が起きず、
死んでしまおうかと何度も頭がよぎった。
何度もうつ状態を経験していたため、不安定になっていることは自覚できていた。
どん底に落ちて、無気力が続き、
そのあと少し気力が戻ると焦りがくる。
だけどここで焦ると回復が遅くなる。
焦るというのは回復してきている証拠だ。
あともう少し休む。
そしていよいよ復帰のために、
リハビリの一歩を踏み出す時。
孤独な先の見えないドン底の暗闇から、
光がさす部屋の扉を開けたとき…!
『おかえり。
と、何事もなかったように接してくれる。
もしそんな人が待っていたら、
どれだけ嬉しいだろうか。
どれだけ幸せを感じるだろうか。
どれだけ他者の存在に感謝するだろうか。
もちろん私の部屋の扉を開けても、
誰もいなかったのだが…
だけど私はこの瞬間、
人間関係の本質を見てとれた気がしたのだった。
***
私たちはよく他人を変えようとしてしまいがちだ。
また、自分の考えは他人の考えと同じとも思ってしまう。
他人は自分と違う存在だと頭でわかっていても、
同じ人間、同じ性別、同じ職場…
属性が一致するとそれがよく起こる。
一致させようとしなくていいのだ。
交わらなくていいのだ。
好きにならなくてもいいのだ。
その代わりに、
寄り添えばいいのだ。
誰かと話をする時は、
前に立って相手を選別するのではなく、
横にそっと寄り添うのだ。
***
うつ病のとき、
助けようとしたり、
励まそうとしたり、
私をどうこうしようとする人間ではなく、
ただ私の横に寄り添ってくれる、
そんな人間がもしいてくれたら、
どんなに愛おしいだろうか。
***
私は、何かをしてあげたい。という欲求のすべてが善いとは思えなくなった。
時にその欲求を抑えることは私を苦めることもある。
だから、
何かをしてあげたいという欲求は、
ただ私がその苦しさから逃れたいからなのか、
を改めて自分に問い正す必要がある。
親切心の中に傲慢さが隠れていないか?
きっと誰かを助けることに理由なんてなくて、
気づいたら勝手に身体が動いてるものなのだ。
それを私は愛と呼ぶことにする。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?