見出し画像

綺麗好きのブタ。

社会人になったばかりの私は会社に貢献しようと毎日働いていた。

ハードワーカー気質で仕事が何よりも重要だった。

もっと上へもっと上へ。

そんな風に毎日考えていた。


自己保身的な上司の判断や指示に反抗することも多々あった。

何度か繰り返すたび、私は気づいてしまった。
仕事とは責任と地位を明確することだと。

責任は自分でとり、地位や名誉は他人に譲る。
これだけで大抵の仕事は進んでいくのだ。

だから、

上司の言ってほしい言葉を言った。

部下の言ってほしい言葉を言った。

お客様の言ってほしい言葉を言った。

もし何かあっても私のせいにできるから。 

そうして、たくさんの責任を取ってきた。
結果も出した。

だけど、

多くの人に裏切られた。
多くの人に濡れ衣を着させられた。
人の弱さやズルさを嫌というくらい見せつけられた。


その反動か、反抗か。
私は正しさの拳を振り上げた。

やりたいことをやるだって?
やるべきことをやりなさいよ。

そこにいる理由は何?
その権利は何のために与えられた?

それを行使する覚悟がないなら、
今すぐそこから降りてもらえませんか?


損得勘定や人間同士のいざこざのない、
純粋に仕事をできる場所を探しもとめた。

だけど、どれだけ転職を繰り返してもそんな場所はなかった。

だから私は仕事を辞めた。


***

ひとつだけ、確かなことがある。

人が抱えられる責任は、
せいぜい、一つか、二つしかない。

人生に起きたことは
自分の責任として考えることを
当然のように考えている人は多い。

立派な人や成功者と言われる人が
口を揃えて言うセリフだからだ。

まるでそう考えることが、
立派な人間の条件とさえ思えるだろう。

だけど、

音楽や詩を見てほしい。

胸が苦しいのきっとあなたのせい。
君が輝いて見えるのは熱い太陽のせい。

何かのせいにしているほうが、
ずっと人間らしく感じないだろうか。

少なくとも私はそう思える。

人は何かのせいにする生き物なのだ。
弱くて、ズルくて、自分に甘い生き物なのだ。

誰かに自己責任というのは、もしかすると自分の責任から逃れるための口実かとしれない。

だから、人が人を断罪するのはお門違いだ。

理不尽さと曖昧さ。
たくさんの正しさが存在することを知った私は、

他人に裏切られ、
他人に利用され、
濡れ衣を着させられても、

人ってそういうものだよな。
と妙に納得できてしまうようになった。

いわゆる賢い人達にとって、
私のような人間は都合の良い人間に
見えたのだろうか。

私はただ、よりよくしたい。
と願っていただけだった。

お金が欲しいとか、地位や名誉が欲しいとか、
そんな風に考えて働いたことは一度もなかった。

本当だ。

そんなことは綺麗事だと何度も吐き捨てられた。

だけど本当なんだ。

上司が喜んでくれたら、
部下が喜んでくれたら、
お客様が喜んでくれたら、

そんな風に考えて働いていただけだ。

でなければ、
全責任を被れるわけない。
捨て身になれるわけないじゃないか。


こんな働き方をした私に何が残ったのか。

少しのお金と、
わずかな人間関係と、
行き場のない虚しさ。


あまり未来を決めるのは好きではないが、
もう大勢と一緒に仕事をすることはないだろう。

1人でできることはたかがしれているのなら、
たかがしれている人生で良しとしよう。

たくさんの人を喜ばせるより、
1人の大切な人を喜ばせようと思う。

たくさんの人を幸せを願うより、
たった1人の大切な人の幸せを願おうと思う。


綺麗好きのブタは社会の公式を解けなかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?