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誤解されるのは己を貫いた証。

そんなはずじゃなかったのに。
違う、そうじゃない。

生きてれば誤解されることも多々あります。
思いと違った結末を迎えるのは悲しいことです。

誤解を解く方法や、誤解されない方法。
そんな賢く合理的に生きる方法もネットを調べればたくさん紹介されています。

でも、誤解ってそんなに悪いものではないと思うのです。

信念を通せば誤解されるものではないでしょうか。

誤解されないこととは、綺麗な過去を積み上げることのように思えます。

もちろん多くの人間は、相手の過去によってその人となりを判断しがちですから、賢い方法ではあります。

でも、舗装された道路をひたすら歩いていても楽しくないでしょう。
時に山や川の荒れた道や、海の見える白い砂浜を歩いてみるのも粋なものではありませんか。

道から離れれば他人はあなたを好きなように面白可笑しく想像するもので、心ない言葉で傷つくこともあるでしょう。



人は他人の間違いや失敗を見つけると、面白おかしく想像したくなります。それが楽しいのです。

誤解を解こうとする行為は、その楽しみを奪うことであり、大きな反発が返ってくるものです。

日本でマスゴミなんて言われるのも面白可笑しくマスコミが報道するからであり、逆にマスコミを面白可笑しく私たちが想像しているからです。
マスコミが誤解を解こうと
『真実を話しています。
なんて言い出したら一部の人から猛反発を受けるでしょう。

誤解というのは一種のイマジネーションが発揮されているもので、人間本来が持つ想像する楽しさを感じている状態なのではないでしょうか。

残酷ではありますけどね…。

誤解される人は美しい—
人は誤解を恐れる、だが本当に生きる者は当然誤解される。誤解される分量に応じて、その人は強く豊かなのだ。

誰でも、「誤解されたくない」と言うだろう。「私はそんな人間じゃありません」なんて憤然としたり、「あいつはオレを誤解している」と恨みがましくめそめそしたり。
せいぜい、自分をこう見てもらいたいという、願望のイメージなんだよ。
そんなものは叩きつぶしてしまわなければ、社会とは闘えない。

自分がどう見られているかじゃなくて、自分はこれをやりたい。やる。

やりたいこと、やったことが自分なんだ。

岡本太郎

誤解されるのは己を貫いた証。
傷ついたのはガラスの壁を打ち砕いたから。

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