サイコロの世界観

グローバル化とは何か。

ヒト、モノ、カネの移動範囲が広がったということだろうか。

ただ、これには
何か異物が含まれている気がするのだ。

たしかに未来に進んでいるように思えるのだが、喉に骨がつっかえている感覚。

それが何なのか良い言葉が思いつかない。


グローバル化と聞いて、どうも腑に落ちないことが1つある。

グローバル化で競争が激化するということだ。

それは根本的な資本主義からなる
ゼロサムゲームが広がったにすぎない。

例えるなら、
家庭用ゲーム機で近所の友達と対戦ゲームしてたものが、
オンライン対戦で世界中の人と対戦するようになったということだろう。

町大会から県大会になっただけ。
地区予選なしに甲子園をするようになっただけ。
これがグローバル化なのか。

100年前のゲームを全国展開しただけ。
対戦ゲームそのものは何も変わっていない。
これでヒト、モノ、カネが広がったと言っているのだから、きっと冗談なのだと思いたい。


グローバル化と聞くと、二つが混ざったり、片方を侵略していくようなニュアンスに思える。

赤と青がどちらの色が強いのか。
赤が強ければ青が赤に染まっていく。
もしくは赤と青が混ざって紫になっていく。

ピラミッドなんて言われる社会。
1つのトップを作りたがる社会。
忘れるな、地球は丸いんだぞ。

でもこれはグローバル化の以前からあったことだ。

グローバル化とは単に広がることなのか。
広がることをかっこよく横文字で言っているだけなのか。

後者なら可愛いものだ。


私の考えるグローバル化は合体、拡張だ。

赤と青は混ざらない。
きちんと線引きがある。

資本主義によって多くのものが混ざりすぎた。
それによって失われた文化や思想もあるだろう。

そういった着眼点が増えてきている。

仕事や人生が個人に帰結してきている。
それによって多様性が現れる。
個人と社会のちょうどいいバランスを探している最中なのだろう。

自己中な人間と自己犠牲な人間。
その二つが際立つのも納得だ。


きっと資本だけの価値で取捨選択することに飽きてきたのだろう。

そもそも人間は合理的になれやしないのだ。

逆説的ではあるが、コンピュータが生まれたのは人間が合理性を嫌ったからではないのだろうか。

そういう道具を作るの得意でしょ、人間って。

コンピュータが出来からこそ、人間本来の非合理性を取り戻せるのではないだろうか。

きっとグローバル化とは各々の原点回帰なのだ。

混ざるのではなく拡張する。

グローバル化された世界というのは、
サイコロの展開図のような…
そんな世界だと私は思う——願いたい。


この星は何面ダイスになるだろうか。

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