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大学生活5年目に突入したけど③


はてはて、第3夜です。
前回はKとの出会いといきさつを説明しました。
前回はこちら

Kとの電話の内容は以下のようでした。

小学校卒業をし、地元の名門中学に入学したK。
最初は本当に順調で、友達もできたし、部活動にも入部。
中学生活は楽しく、中高一貫だったので
そのまま高校に進学。
高校に入ってから、いじめに遭ってしまったそう。
そこからは不登校になったらしい。
もう、なにもかもしんどい。
無理だ。死のうかな、と思ってマツモトに連絡した、と。
何もわからない。

私自身、衝撃でしたが、彼の言葉をなんとなく受け止め、飲み込みました。

いじめの内容は割愛しますが、
不登校になってからは引きこもりという訳ではなく、自宅近辺や最寄り駅、
ちょっとした地元のターミナル駅までは行っていたそうです。

また、元々は実家から学校に通っていたのですが、
K自身が精神を病んでしまい、家族との諍いが絶えず、
挙句、暴行してしまったことで、両親、兄とは離れて暮らすことに。
教育ママといった母親もK自身の有様に落胆し、精神的に不健康になってしまったのです。
その当時は、週に2回程度、
父がKのもとに食料を持ってきてくれていました。
精神の問題もあり、月に一回は病院に通院していたようですが、
K自身はあまりその病院の医師を信頼していないようでした。

いじめについては、以前はK自身も加担していたので、
わが身に帰ってきたのみで、そこには何も執着はないそうでした。

以上が、私が当時、電話で聞いた内容でした。
私は、悔しく思いました。
あんなに溌剌とした少年だったKが6年近くで、
自らの状況を刻々と、声を震わせて語っていたのです。
そして、自殺さえも考え、何度も実行に移そうとしていたのです。

私は、とにかくKに会いたいと思い、絶対に会ってから死んでほしいと
Kに伝え、再会の日を決めたのです。

私とKの再会は、私が大学受験を終え、
また小学校と高校の同級生だったNくんも大学受験を終えたタイミング、
3月に叶えることができました。

6年ぶりに見たKの姿は、小学生当時をそのまま大きくしたようで、
一目見た瞬間にKそのものだと感じました。
それからたくさん話しました。

お互い、6年間何があったのか。
最近は何にハマっているのか。
他の同級生と会ったことなど、様々です。

そのようにして、私は毎週のようにKと会うようにしました。
KもKでゲーム仲間やフリースクールに通い出したり、
揚々と活動している様子でした。

2020年の7月、少なくとも私が地元にいた最後までは、
何の問題も起こらなったのです。

私が、京都へ上洛することになり、Kとの会話は、
LINEと週に1回程度の電話に変わりました。

Kとの会話の内容は、時々非常にネガティブな内容になったり、
ナイーブな問題に陥ったりしていました。
私は、身辺が忙しくなったということもあり、
徐々にKに対する関心も失っていきました。

私には、傲慢な考えと人間に対する非常に歪曲的な偏見が
Kとの関わりの中で生まれていきました。

まず、K自身は私が想像していたほど、
悪い精神状態でいのだろうと考えたこと。
KもK自身の現状に対して十分に満足しているであろうと推測していたこと。
Kの自己承認欲求を私を依り代にして、
満たしているのではないか、ということ。
口にしている多くの言葉は、多くは虚構ではないか、ということ。

私はいつしか、Kをそのような歪曲的に見ていたかもしれません。
Kに一度だけではなく、何度か、突き放すような言葉を言ってしまったことを覚えています。

その度に、Kは自身が持つ問題に対しての処理が分からないといったふうなことを私に言うのでした。

週に1回の電話も時間を経るごとに、2週間に1回、
月に1回と少なくなっていきました。

そして、Kとした最後の電話で、Kは父親との関係性や自殺の希望を
私に伝えてくれました。

私は、いつものことだと思い、まだ早いだの、もうちょっと待ってくれだの
宥めていました。

その電話を最後にKと連絡がつかなくなりました。
LINEも、Instagramもメッセージを送っても返事は返ってきませんでした。
4年経った今でもです。

Kの状況は、ここには書ききれないほど異常なものでした。
私も当時、そのことは大変理解していたつもりです。

ですが、私の気持ちやKに対する漏れ出す嫌悪が
Kと関係を切ることになったのです。

私はKを軽んじてしまったのです。

ここまでのKが「こころ」のように
フィクションであれば、本当にありがたいですが、
実際はそうではありませんでした。

Kとの関係を描くのはこれが最後です。
まだ、存命していることを願うばかりです。

もし何かの拍子で、このnoteを見たら、連絡してください。

次回は④になり、大学サッカー部時代を書こうと思います。




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