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なまえで呼ばれること

こんにちは。 たまねぎ。です

さて、今回のテーマは「なまえで呼ばれること」について述べていこうと思います。

では早速。

皆さんの周りに、自分のことを名前でしっかりと呼んでくれる人はいるでしょうか

(私の場合であれば、誰かと会話するときに相手から「たまねぎ。」と呼ばれるように)

「え、そんなん当たり前におるやろー」
「たまねぎ。はいったい何を聞いているんだー」

などなど、いろんな回答が聞こえてきそうです。

確かに、「なまえで呼ばれること」は普段生活をしていて、とても自明的なことなので全く気にも留めないことであろう。

そんな自明性も疑ってみると、時にはすごいものが隠れていると私は感じます。

以下では、「なまえで呼ばれること」という当たり前の事柄に秘められたパワーについて紹介し、名前の大切さについて皆さんにお伝えできたら…と思います。



中学2年生の秋

中学2年生の秋に何があったのかというと

実は、担任の先生に私の名前を覚えられていない

という事件がありました。

今思い返すと本当にどうでもいいことです。
少しお年を召された先生だったので、ド忘れしたのかもしれない。
実際に私自身、良くも悪くも目立つことなく、特徴的な生徒ではなかった。
このように様々な要因があると思います。

しかし、14歳の私にとって、この経験は衝撃的なことでした。
「半年も経ってなんで名前覚えてくれてないん!」という怒り失望を私に生じさせました。



中学3年生の春

それから月日が経ち、私は中学3年生に。
そして、進級の醍醐味であるクラス替え。
仲のいい友達の名簿をチェックすることはもちろん大事ですが、担任の先生も重要。

担任の先生の名前を見てみると… 知りませんでした。
私の先生は、いわゆる学年の持ち上がりではなかった。

したがって私は先生のことを知らないし、先生も私たちのことを知らない
という状況でした。

そんな中、新クラスがスタートしたわけですが、
新学期が始まって確か2日後だった気がします。

掃除の時間に私は、ぼーっと突っ立っていました (これは今でも変わりないですが)

すると、「タマネギ。ちゃん! はいっ、掃除して!」という声が聞こえました。

その声の主は、新しい担任の先生でした。
私は、注意されたことよりも、フルネームで呼ばれたことに驚きました。

「え、なんで私のこと知ってるん?」

新クラスになって間もないのに、その新しい先生は40人近くの生徒の名前と顔を一致させていたのです。

とても何気ないことかもしれないですが、中学2年生の時の あの事件 があったから、とても嬉しかったのを記憶しています。


「なまえで呼ばれること」に秘められたパワー

このように、私は中学時代のエピソードから「なまえで呼ばれること」に秘められたパワーに気づくことができました


そのパワーとは

「自己肯定感や自尊感情を生じさせるパワー」

です。


私は、中学2年生の先生に名前を覚えられていなかったとき
「嫌われているのかな?」という不安が芽生えました。

対して

中学3年生の先生に名前をフルネームで呼ばれたとき
自分の存在を認められている感覚に陥りました。


このように、名前にはその人の存在を認める力があると思います。

相手の名前を呼ばずに「ねえねえ、…」「なあなあ、…」から会話を始めることも可能です。
しかし、この力に気がついてからは、意識して相手の名前を呼ぶことにしています。

加えて、会話をするときにしっかりと相手の名前を呼ぶことは、主語を省略せずに話すことになるため、文章力や国語力の向上に繋がるでしょう。


以上、長々と「なまえで呼ばれること」について述べてきましたが、
皆さん、名前に秘められたすごいパワーを感じて頂けたでしょうか。

もし、皆さんが自分自身を振り返ったときに
「そういえば周りの人のことを名前で呼んでないなー」
と思い当たる節があれば、たくさん名前で呼んでみてください


最後に、ちなみにですが。
私の父が母のことを名前で呼んでいる場面を、私は21年間見たことはありません…


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