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傷を負いながら生きてきたと認めたい

最近ふと気づくことがあった。自分は「ちゃんと」傷つけられてきたし、傷ついてきた。ちゃんと、という表現もおかしいかもしれないけれど、気づいていないことがあまりに多かったことに、気づいた。

Twitterでは最近、長く応援し関わらせてもらっていたsoar前理事による性加害の情報まわりのことを追っている。このあたりの自分の考えもまとめたい、と思いつつ、その中で自分の傷が浮かんできた気がした。被害にあってしまった方の発信や、関係者の発信から、色々と思いを巡らせた。完全に個人的な話です。

(ニュース記事は具体的な描写もありますので気をつけながら知っていただければと思います)


わたしは今までの人生の中で「人から傷つけられていない」と思っていた。

自分が悪かったのだとどうしても考えやすい癖があり、だから傷ついた感じがしたのだと。もちろんあんまりにも理解できない出来事も色々とあって、それははっきりと自分でも自覚できる傷だったのだけど、例えて言うなら背中とか足の裏にもたくさん傷があると初めて思った。

それを自分で認めてあげられていなかった。誰かとのすれ違いも、むしろわたしが傷つけてしまったこともあったはずだけれど、自分が傷ついたということには自分自身は正直になってよかったのだと、やっと思えるようになった。

出会った人たちみんな悪人だったわけじゃない。だけど確かに自分が傷ついていたことは、自分がしっかり見つめてあげるのが必要だったんだ。

自覚しているだけでもかなりしんどい思い出があるのに、もっともっと蓋をしていたことが浮かび上がってきた。もちろんTwitterのみなさんのせいだとかそういう話ではない。でも、今わたしはこのnoteを書くことでもそうだし、信頼している人たちに「たくさん抑圧していたことがあった」と吐き出すことができるようになった。

もっと前からそうやって自分の傷をちゃんと見てあげたかったな、と思うけれど、それまでそうやって蓋をすることで生きてこれた部分もあったのだと思うし、そうやって生き延びてきていることを、今はよかった、と思える。

お茶を飲もう、と意識的に思うようになった。今でも休むのは下手だ。だけど、少し自分で気づけるようになってきたと思う。今までたくさん泳いで、きっとカラッカラだったんだろう。


soarに関する事件に関してTwitterでは外部から関わっていた経験のあるひとりの立場として被害を受けた方々に帯同し、情報をつないでいきます。

NPO・ソーシャルビジネスの情報発信・新規事業立ち上げ等サポートをされている田村さんが弁護士費用のサポート・被害者の方のカウンセリング費用や受診費用サポートのカンパを集めてくださっています。ぜひご協力お願いします。

わたしの思いに対してはTwitterで紡いでいます。

過去に、精神障害の当事者としてsoarに関わる中で疲れてしまったあたりを書いていました


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