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感覚過敏とASDをアートといっしょに歩く

今日、外は眩しいんだろうか?

窓からカーテンを少し避けて外を見る。
太陽の光に思わず目を細め、サングラスを入れたかわいいケースがカバンの中に入っていることを確認して、小さく息を吐く。

今日も元気に過ごせたらいいなあ。

今まで断片的になってしまっていた自分の感覚の話を、できるだけ言葉にして今の記録として文章にしておこうと、この記事を書いた。30代後半で発達障害の診断に辿り着いた一人の女性の話だ。

未来のわたしが振り返るとき、自分の立ち位置を探るために役に立つかもしれない。

目次

光や音・匂いなどをちょうどよく受け取れない

わたしは感覚過敏を持っている。
光・音・匂いや感触などの感覚刺激を受け取りすぎてしまう。光も、音も、匂いも、全部刺さるように感じて、受け取りきれずに体調を崩してしまいやすい。

晴れた日は光にやられてしまうのでサングラスで和らげるようにしている。
音はノイズキャンセリングイヤホンをする。コスメや洗剤などはできるだけ無香料を選ぶ。

あれこれ工夫をするけれど、自分の対策だけでは限界もある。スーパーに行って、よその子どもの大きな叫び声に動揺し、頭痛で寝込んだこともあった。

もっとパッと思いついたままに行動しても、問題なく安心して過ごせればいいのに。そうぼんやり思いながら、急な感覚刺激に出会わないようにおそるおそる出かけている。

うまく制御できない自分を受け入れる難しさ

感覚刺激で体調を崩すことが重なると、世界からわたしだけ拒絶されているように感じる。とても悲しい。
光も音も匂いも感触も、全部をいらないと思っているわけじゃなくて、むしろ好きなものならもっと強い刺激でもいいくらいなのに。

大音量の音楽を聴いて楽しんでいるときもあるから、自分でも自分の感覚過敏に対してどこか半信半疑だった。それに、世界の感じ方なんてそんなに変わらないんじゃないか?とずっと思っていた。そんな中で自分の中の大きなターニングポイントになったのは2年ほど前に辿り着いた発達障害の診断だ。紆余曲折してやっと辿り着いた、一つの答えだった。

主にASDの感覚過敏についての情報を手に入れることで、自分の過敏さに対する考え方もずいぶん変わったように思う。もっとメカニズムを知りたいと、まだまだ本を読みたいと思っている。ずっと自分のことを「気にしすぎ」だと思っていたのだけど、実際のところ、どんなに頑張ったって感覚刺激を気にしないことはわたしにはできない。

これも自分の脳神経による世界の捉え方だったんだ、と不器用ながら理解し始めると、自分で努力不足だと思っていた部分がサーッと細かく砕けて消えていくような感じがした。

そのほかの色々な困りごとも含め、やっとやっと、やっとやっと、色々な葛藤を経て、こういう自分の感覚を受け入れようとしている。

光を避けながら光を追いかける

わたしは絵を描いたり、写真を撮ったり、視覚芸術をしている。光を避けながらも、一方で光を追いかけている。
わたしという人間にこの感覚過敏が欠かせないものなのだろうし、このヘンテコな仕組みが自分の世界の捉え方にきっと大きく影響しているんだろう、とはうっすら感じていた。

カメラを持った時も、ペンを持った時も、ただ歩いている時も、頭に繰り返し浮かぶ「色でも形でも言葉でもないもの」を捕まえようとしている。そのしっぽを捕まえたら、どの手法で示せるだろうと考えて手を動かす。そうやっていつも何かを探している。その時は感覚過敏のことを忘れている。どんなイメージに出会っても捕まえたい。

外を歩いている時、家のリビングで晴れた日に太陽の光が差し込んだ時、いつもわたしははっと息を呑んでその光に魅入られてしまう。絵も文章も、抽象的なイメージとして、あるいは具体的なイメージとしての光が重要だ。

いつも光を探している。自分にとっての完璧な光を探しているのだと思う。

人間としての体、女性としての体

悩みの多い感覚過敏とは対照的なのが、身体感覚だ。
普段とてもぼんやりした感覚で生活している。気をつけないと自分に体があることを忘れてしまう、と言っても言い過ぎではないくらい。

昔からなかなかお腹の調子に気づけず、トイレに行くタイミングがわからなかった。今でも、トイレは意識的に行くところがある。疲労や感情に気づくことがとても苦手で、気がついたときには倒れるレベルで疲労がたまっていたりする。

どれだけストレスを抱えているかにも気づきづらい。
大きく崩れないように毎朝セルフモニタリングの習慣を続けるようになって、ノートにはずらっと記録が並んでいる。圧巻なくらいの量だ。

体の表面に肌荒れなど何かの形で発露しないと、内部で起こっていることに気づくのが難しくて、対処は後手に回りがちだ。受験勉強に必死になるあまりに半年で10キロ太ったことがあったけれど、自分ではまったく気づかなかった。服の着心地も変わって何かおかしいな?くらいにしか考えていなかった。何かに没頭しすぎると余計に身体感覚を失いやすい。

女性ならではの体調不良についても、実はうまく受け入れられていなかった。
ホルモンバランスの変化や生理痛などの影響で生活が乱れてしまうと、ほかの色々なことも一気に崩れてしまうことが多い。「自分のコントロールできない体の働き」で自分自身が揺さぶられることを腹立たしいくらいに思っていた。でも「そうなってしまうんだから仕方ない」という姿勢を、ようやっと30代後半から身につけ始めている。

自分を女性と考えていいのかについても極めて微妙な迷いを抱えていたから、それもあって自分の女性としての感覚をうまく受け入れられなかったのかもしれない。うまく人に伝えられない感覚でもあった。はっきりと違和感をおぼえるというほどではない。けれど自分を女性だと思い切れる何かも見つけられない感覚。

そんな確信みたいなもの、みんな持ってないのかもしれない。考えすぎなのかもしれない。これもわたしの脳特性、あるいは性格が絡んでいるのだろうけれど、でもどうにも「なんとなく」が苦手で、落ち着かなく不安な気持ちになってしまうのだった。

「自分から見たこの世界」を生きてもいいのかもしれない

「あなたから見た世界を体験してみたい」といったことを何回か言われたことがある。

自分では言葉以上の意味はあまりピンと来ていない。
だけど、頻繁に人に言うような言葉ではないのは分かる。

もしその言葉通り、わたしが感じ取る世界を体験してもらえたら。

いつも「誰かと同じようにしないといけない」と自分を追い詰めがちだった。でも、ひとりひとり見る世界が違うことをもっと体感できたなら、きっとわたしもみんなも、自分の捉える世界をもっと大事にできるんじゃないか。

自分の世界と誰かの世界が違うことは、はっきり見えなくても確かなのだとしたら。そうしたら自分から見たこの世界を生きてもいいのかもしれないと、少しずつ自分をゆるそうとしている。それなら自分の感覚をもっと知って伝えていきたいと思うようになった。

自分の感覚を捕まえるのに欠かせないのが、記録することだ。
わたしは昔から本やノートのように量で捉えられるものが好きで、いつも何らかの紙の束を抱えている。気持ちが揺れた時は特に紙に戻って、とにかく書きながら考える。

一度形に残すことで、今のわたしが囚われている感情と距離を取りやすくなる。記録することで自由になる感覚が好きだ。動揺する出来事があったその場で気持ちを切り替えるのはとても時間がかかってしまうけど、ノートに記録して切り替えられることも増えてきた。本当はもっと気持ちをさらっと切り替えて爽やかな人になりたいけれど、ノートに助けてもらえれば少しは早くなる。だからこれを続けていけたらと思う。

いつもやたらと葛藤していて、すっきりしない内面がノートに溢れているのを見ると、我ながら不思議な内面構造だなと思うことがある。何かと矛盾していて、でもどこかに落ち着けなければと働く力学的なものに対しても、時間を置かないと自分で気づいてあげられない。

なんかもうちょっとうまい具合に収められないのか?と自分のいろんな部分に対して思うのだけど、それができないからなあ。
感覚刺激もちょうど良い具合に受け取れたらいいのになあ。

そういえば、音楽に触れているときは身体感覚がありありと思い起こされる感じがする。最近ピアノはめっきり弾いていないけれど、わたしは全身を大きく使って弾くタイプだ。ピアノとわたしだけの世界になる感覚が大好きだ。幼少期に触れて大きく世界が開けたもののひとつがピアノだった。それから絵や文章や写真やwebや…と手法を広げていったけど、表現に向かい合っている時だけは、自分のいる「今ここ」に自分を置けていて、自分の体があることをしっかりと感じられていると思う。

人と繋がりたくて「作る」を選んだ

自分と繋がるための音楽だったとするなら、絵を描くことは「人と繋がる」ためにやっていることなのかもしれない、とよく思う。

忘れられない体験がある。
子どもの頃から、冗談がよくわからなかったり、伝えるニュアンスを間違えてしまって人を悲しませてしまい、ずっと後悔している記憶がいくつかある。
でも小学校低学年のときに「セーラームーン」のイラストを描いて、クラスメイトと楽しく話すことができた。キャラクターたちを丁寧に描いて見せると、クラスメイトたちはとても喜んでくれて、わたしはすごく嬉しかった。絵を見にきてくれているクラスメイトたちにまだここにいてほしくて、髪の毛をずっと描き足し続けた、あの胸がいっぱいになるような喜びはものすごいものだったと今でも思う。
ずっと描き続けていたために髪が広がりすぎたセーラームーンになってしまったけれど、それも含めて忘れられない。
わたしにとっての「人と繋がった」最も強い記憶かもしれない。

コミュニケーションが上手くなりたくて、周りの人たちに喜んでもらいたくてたまらない。それは大人になった今も続いている。

美大合格を目指して美術を本格的に学び始めた頃、自分の伝えたいことをどう画面に表すか?それを人に汲み取ってもらうためには・人にこの印象を与えるにはどうやって描けばいい?とひたすらに考え続ける習慣が身についた。美術の理論をはじめ、作ることに関するさまざまな理論は、わたしの「誰かの気持ちを想像すること」を助けてくれた。

絵を描くこと、デザインすること、文章を書くこと、ピアノを弾くこと、歌うこと、外国語を話すこと…苦手なコミュニケーションを補いたくて、たくさんのことをやってきて、たくさんのことがわたしの「言葉」になって、世界と繋ぎ続けてくれている。

うまくできなくても、きっとなんとかなる

今までたくさん失敗をしたけれど、最近も失敗が重なった。
メンタルに堪えて肌も荒れたし、ふとんから起き上がれず気が滅入ってしまって目の前のことが手に付かない日もあった。

こういう風に自分のことを描写できるようになったことが、わたしの中で大きな進歩だ。これまで長い間、今のわたしの捉える「調子が悪い状態」でもがいていたのだと気づき始めた。今がどんな状態なのかを、今だけで捉えるのはとても難しい。だから、未来のわたしがこの文章を見たら「この時は今より調子悪かったわ〜」と思うかもしれないけれど、そうやって良くなる変化なら大歓迎だ。

気圧にも弱いし、日々あれこれキャッチしてしまって体調を崩すことが多いので、また大崩れするときが来るかもしれない、といつも構えているところがある。

でも起き上がれないならそのまま重力に思考も預けていい。

食べれそうなものを食べて、やりたいと思った時にやりたいことをやろう。「〜しなきゃ」と焦りはじめたら、一度ノートに書いて、深呼吸をして、落ち着いて自分が決めていいと思い出すようにする。

30代後半まで自分の発達障害を知らず、二次障害と擬態で背負った荷物は、とても重たくて扱いづらい。「それがあったから今の幸せに繋がっている」なんて、そんな考え方は今のわたしにはできない。全部を美しく清算することはできない。

でも、それでいいんだ、きっと。戸惑いながらも今まで生きてきて、これからもやりたいことがあるから体の調子を整えたり、自分の内面をケアしたりする。生活はごはんを作って食べて洗って掃除しての繰り返しだ。ループだ。ループで自分のこの先を考えよう。複雑にするのはわたしのお気に入りだけれど、複雑にしすぎて圧倒されなくてもいい。

きっと大丈夫だ。きっと大丈夫だと思える、こんなに心強いことがあるんだろうか。きっと大丈夫だ。



たくさんの人が生み出してくれた言葉をひとつひとつ拾うように生きている。わたしの速度はきっととてつもなく遅くて、迷う時間も長い。でも、この連続ツイートを見て救われた思いがしたように、これからも自分なりの答えを自分で探していきたい。そのたびに不恰好でも自分の形で何かを作り残していけるなら、きっとわたしは幸せだ。


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