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自分の文化を取り戻す - 頭痛

頭痛で寝込んでいる。
夏は暑すぎるし、やたら雷が鳴ったりどしゃぶりの雨が降ったりもするし、わたしの乱れやすい自律神経には厳しかったのだろう。
でも、元気に過ごせた日が多かったのでつらくなってしまって、しくしく泣きながら書いている。

わたしの頭痛は感覚刺激もとてもよく受け取るので、こういう時はおそるおそる過ごす。
ちょっとした音にもピリピリしてしまって、ヒステリックになってしまう自分にもつらくなってしまう。
もっと寛大に色々なものを受け入れられたら…もっと自分のやりたいことに邁進できたら…とつい癖のように願ってしまうのだけれど、むしろそれをしてきたからこそ身体が「ちょっとタンマ」と言っているのだろう。

具合を悪くして寝込むと、子どもの頃のことをよく思い出す。

本を読むのが大好きで、熱を出して休んでいる時間も「学校に行かないで本が読める!」と大興奮。
熱のことをすっかり忘れて読書に没頭していたわたしに、母は当然ながら「あまり本に熱中しちゃだめだよ」と言った。
じゃあマンガならいい?と交渉をして、結局どう取り決めをしたんだっけ?

振り返ると、不登校の時期も含め、ずっと学校には疲れていたんだなとも思う。
だから休んでいいと思うと、マイペースでできる読書に心惹かれ、休息のように思っていた。
それは今も変わっていない。
やりたいことへの熱中をうまくコントロールできない性格もまた、ずいぶん時が経つのに変わっていない。

でも、変な言い方になるかもしれないけれど、自分の全てを自分の思い通りにできると思いすぎなのだ、わたしは。
達成意欲が強すぎるあまりに無理をしすぎるきらいがある。
「わたし」が考えている、作っている、話している、と思っているものたちどれも、わたしの意思だけでは成り立っていない。
腕を動かしてコップを持つ、という時に先に動くのは筋肉で、脳はあとから意志のような形を持つ。

ずっとちまちま読んでいるこの本の続きを読みたい。
ご飯を食べたら、たとえ1文字でも読んでみよう。

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