見出し画像

自分の文化を取り戻す-ヒールと東京

もう見送った電車はこれで3本、次の電車がぎっしりと人を乗せて姿を見せ、ああこれも無理そうだ、とわたしは目線を落とす。

今までのわたしは、ずっと「無理矢理にでも電車に乗る人」だった。急がなくてはいけない理由があるわけでもないのに、無理矢理に乗っていた。今乗らないと、もう前に進む意欲が湧いてこないかもしれないと思って怖かった。
それは、わたしがあらゆる場面で抱える不安に通じていた。

世界から、取り残されたくなかったのだ。絶対に。

金曜日の19時前。
そもそもこの時間帯なら混んでて当たり前だ。飲み物でも買おうかしら?
楽しく話したカフェでのケーキセットの味がまだ少し残っていて、さっきまでの「人と一緒にいたわたし」とずいぶん遠いところにいるような気がしてくる。

今日は、数年ぶりにヒールを履いてジャケットを羽織った。コツコツと鳴る足音が大好きで、疲れていようがなんだろうが頑なにヒールを履いていた時期を思い出す。明るくなりたい、人に受け入れられたいと切望し、「わたしからそう見える人」の言動をつぶさに観察して模倣した。わたしの頭の中には、決して止まることのない「世界に受け入れられるためのPDCA」が動いていた。

こうして文字に自分の思考を収めはじめると、あれも書こう、そうだこれも、言葉選びはこれがいいかしら、写真はこれを使いたいな、と思考が押し寄せてくる。
永遠にこのまま書き続けられたらいいのに。

ヒールからスニーカーに履き替えて足も楽になった。電車の混み具合は全く変わる気配がしないけれど、もう思い切って乗るべきだろうか…
なぜかわたしは、ホームのベンチから動けないでいた。

どうして動けないのだろう?
しばらく考えたあと、わたしは自分が感動していることに気づいた。
今日は、たくさんできたことがある。
気づいてあげるのが難しいお腹の調子に気づいてあげられたこと。ヒールを履いた足が疲れたから早くスニーカーに履き替えたこと。電車が混んでいて気分が悪くなりそうと見送ることができたこと。

東京にヒールで通っていた時には、どれもこれもできなかった。世界に置いていかれないことが一番大事だったから。
誰かにとっては当たり前のようなことでも、わたしにはとても難しかった「自分を大切にする」ということ。涙が出そうだ。きっと少しできたのだ。何かが少しでも変化しているのだと思えて、わたしは涙ぐみながら歩き出した。

心のどこかに引っ掛かったら、ぜひ100円のサポートからお願いします🙌