見出し画像

自分の文化を取り戻す - 蝶を見つけて文章に

小説を2冊買った。
レジの列に並びながらこの記事の作成ボタンを押す。
いつも文章を書く時はこんな感じで、わたしは何かと何かのはざまにいる。
言葉が逃げてしまわないように、急いで、でも確実に文字を入力していく。

蝶を捕まえるみたいだな、と思う。
あるいは野良猫に触ろうとした時にも似ていて、文章を書く時、息を潜めて忍び足になる。

文章がしばらくそこを動かないだろう、と目処が立ったのでマックシェイクに意識を移す。
今、大好きなストロベリーシェイクを喉に運んでしまってもきっと大丈夫だろう。
まだ見ぬ文章を蝶に見立てたら少し楽しくなってきた。
上の空でもパッケージを開けて飲める、現代のデザインよありがとう。

🦋

小説を自分で買うのは、もうずいぶん久しぶりな気がする。
今日、積極的に読まなかった理由がひとつ分かった。
本屋の小説が並ぶ棚を見ていると、過去の記憶が引き出されすぎるからだ。

最近はまた読書習慣が戻ってきて、図書館で借りた本もどんどん読めるようになってきた。
そうして初めて「今まで体調が悪くて本が読めていなかった」と気づく。

自分の調子というのは不思議なもので、自分のものなのにさっぱりよくわからない。
それは元々わたしが自分の状態を掴むのが苦手なのもあって、調子が変化して初めて「これまでは違ったんだな」と気づく。
蝶がひらひらと羽根を動かすように、もっとわかりやすくあってくれればいいのに。

今日は「文庫の小説を買おう」と目指して本屋に行った。
1冊のつもりが2冊になったけれど。
ハードカバーの本ばかり読んでいたので、文庫本のやわらかい感触を恋しく思った。
紙の本には五感の記憶も結びついていて本当に面白い。

買ったのは、何冊も読んでいる江國香織さんの本と、ずっと読んでみたいと思っていた朝井リョウさんの本だ。
ずっと前に、人に「あなたの文体は江國香織さんに似てるね」と言われたことがある。
あれからずいぶん経つので今はどうなのかわからないけれど、心に大事にしまってある言葉のひとつ。
あの人は、今どうしているのだろうか。
小説を見ているとこういうことが次々と思い出されるから、小説の棚から足が遠のいていたのだと思う。

マックシェイクのSサイズはもう残り半分くらいの重さだ。

相変わらずしっかりと容器を見ないまま、わたしは文章という蝶を見つめ続けている。
マックシェイクには、この人は何してるのやら…と思われるだろうか。
今日、本屋に寄った後に書こうと持ってきたノートとiPadにも、呆れられてしまうだろうか。
そんな想像をして罪悪感を覚えるくらい、いつも思い詰めて生きてきた。

もついいんじゃないか、呆れられても。
わたしは今、自分の蝶をどうやって文章に閉じ込めるかしか、考えられないのだ。

もういいんじゃない?と自分に言えるようになったのは、とても大きな変化な気がする。
大好きなフランス語から言うなら、「Tout va bien」
きっと全部うまくいくよ、という感じだ。

「大丈夫だよ」ってたくさん言ってもらったのに、わたしは不安がりで、その言葉のカタチのまま受け取れなかった。
少しずつ、自分の大丈夫を作っていく。
こうして文章も書けるし、絵も描ける、歌も歌える。
蝶を見つけたらいつでも足を止めて形にすればいい。
そうやって息を吸う。

さあ、お話の終わりだ。
これからもまた色んなものたちに呆れられるだろうし、もしかしたら今日の2冊も積読になってしまうかもしれない。
それにマックシェイクを飲んだことも忘れてしまうかもしれないけれど、それはメモしておこう。
どんどん移り変わっていくことにわたしはあまり気づけないけれど、移り変わったらまたその後の自分が気づいてくれるから、大丈夫だ。

心のどこかに引っ掛かったら、ぜひ100円のサポートからお願いします🙌