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「ダサい」とはなにか?

何人かで集まって話しているとき、ふいに「”ダサい”ってなんだろう」という話になった。

そこで「ダサい」は「考えてないこと」だと思う、と話した。


わたしはイラストを描いたりデザインをしたりする、ものをつくる人のひとりだ。つくっていると「とにかくカッコいいものをつくろう」みたいな気持ちになる。そして、ダサくなることはすごく恐れるのに「ダサいとは何か」と考えないでつくってしまうことがあった。でもそれこそがダサくなってしまう原因のような気がする。

カッコいいものは、とても考えられている。何が伝えたいことなのか、それをどう伝えるのか、誰に伝えるのか。それはきっと業界や手法を問わないんじゃないだろうか。


つくることは「表現すること」ではなく「考えること」だと思う。


どういう表現にするかどうかまで、ぜんぶぜんぶ、考える。たとえば一見して奇抜で理解することが難しい表現でも、ねらいを持ってつくられているはずだし、人の作品に触れるときもその考えを探るようにしている。

ダサいものにも見た目がカッコいい風に見えるものはある。でも、きれいな素材を使ってつくったはずなのになんだかしっくり来なかったり、主張が強すぎてクドい感じがすることがある。それは、つくることそのものである「考えること」が足りていないから起こるのではないかと思う。


ファッションにあてはめてみる。「今日は会議だからジャケットを羽織ってデニムはやめよう」みたいにTPOにあわせてファッションを決めることはよくあると思う。人はみんな様々な容姿をしているから、自分の魅力やコンプレックスについて考え、より魅力的に見えるファッションについて試行錯誤する。

もともと恵まれた要素を持つ人もいるかもしれないけれど、それも含めて、自分を「知ろうと考えているか」がオシャレに見えるか/ダサく見えるか、の違いのような気がする。

「ダサい」は見た目で判断されることが多いけれど、根源は「考え」にあると思う。

「ダサい」=「考えてないこと」。
これは、あくまでわたしの考えです。よかったらあなたの「ダサいとは」を聞かせてください。

クリスマスパーティーでした会話wをもとに一本書いてみました〜!様々な人の「ダサい論」聞きたいです!そしてリアクションもいただけたら嬉しいです〜(^ω^)

「みんなのフォトギャラリー」にわたしのイラストを出品していたら、先日べっくやちひろさんが記事に使ってくださいました〜!母になったことのないわたしにもとても染みる文章でした…!
👉 母と息子と私とあなた (母になることについて)

カバー写真を設定する際に「みんなのフォトギャラリー」を選んで「イラスト」タグを選ぶとわたしのイラストがいくつかあると思いますので、使っていただけたら嬉しいです〜!(^ω^)

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