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「逃げろ」って言われても「じゃあその後どうしてくれんのよ」としか思えなかった

夏休み明け、9/1は子どもの自殺が一番多くなるらしいとあちこちで見かける。

誰もが「命はかけがえのないものだから、学校に行かなくてもいい、逃げていいんだよ」と言っている。わたしも、その通りだと思う。

わたしの場合は登校拒否の経験もあるものの、さして重大にならないうちに学校に再び行くことができたので、「逃げろ」と言われたのは社会人になってからではあったのだけど、ストレスと疲労で思考力の落ちた頭で、よく思っていた。

「じゃあ、ここから逃げたとして、どうしろっていうんんだろう。逃げろっていうあなたは、こんなわたしに何をしてくれるの?」

勇気を出して逃げたとする。でもその先が見えなかったから、「逃げる」ということはちっとも安全なことに思えなかった。まるで、崖から飛び降りるようなことに感じていた。


それでも実際、わたしはたくさんの場所から逃げざるを得なかった。心身を壊し、思考ができない状態になって、ある日プツンと糸が切れたように起き上がれなくなった。その度にものすごく自己嫌悪でいっぱいになり、できなかった自分を責めた。そうして焦って復帰しようと、療養もままならないうちに無理をして同じことを繰り返した。胸の中の黒い塊は増える一方だった。

一方で、生活に困り追い詰められてしまった友達の相談に乗っていたことがあった。わたしは何の専門家でもない、何の力もない人間だから、ただ「逃げて、安全な場所に行こう」と言った。「どんなあなたでもいい、ただ生きていてくれたらいいんだよ。わたしには何もできないから、ただお願いだから生きていて」とも伝えた。

そのときに「逃げて」って「生き続けて欲しい」ってことなんだな、とはじめてわかった。


生きてることは湧くってこと。死んでしまうのは、湧かないってこと。

大好きな人が亡くなったときに読んだ本に確かこんなことが書かれていた。「あなたにはたくさんの未来がある」と言われても、響かないことだってあるだろう。でも生き続けていれば、いろんなものが湧いてくるのだ。

それは喜びや愛おしさようなものばかりではなくて、胸を引きちぎられるような苦しい気持ちもあるかもしれない。でも、死んでしまったら全部湧いてこない。止まってしまうのだ。


自殺が多い樹海の地に、ちょっとした、なぞなぞの看板を置いてあると聞いたことがある。死ぬことを決意してそこへ行った人の中には、そのなぞなぞの答えが気になって一回家に帰り、自殺から逃れることがあるそうだ。


少しだけ楽しいこと、少しだけ気になること、少しだけかわいいことを集めて今まで辛かったわたしは生きている。全部ハッピーじゃなくたって、全部できなくたって、いいと思う。

たくさんの子どもたちが少しでも楽しく生きられるようにするのが、大人になった子どもであるわたしたちの役目だ。

子どもであることが辛くもどかしいこともあるかもしれないけれど、ただ生きていてほしい。小さな頃のわたしを思い浮かべながらこれを書いていたけれど、わたしも、自分のできることをしていくね。

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