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君ノ声

ちょっとご無沙汰でした、マサユメです。
今日の話は全然社労士関係ありませんw
強いて言えばキャリコン絡みかな?

中村一義「君ノ声」

君の眼に映る僕を、僕は知れない。
そう、だから、君に会うのは、自分と会うみたい。
僕の眼に映る君を、君は知れない。
ねぇ、だから、いつだって、僕だって、君だって、
そう変わりはない。

ーー

いやあ、本っ当に名曲ですよね。このくだり。
大好きです。

今日はちょっと嬉しいことがありまして、同僚と話してるときに、ちょっと自信がないということをおっしゃるので、全然そんなことないよ!という趣旨のことを述べたんですね。

で、全然そんなことはないよ!は、お世辞じゃなく本当の気持ちだったので、意識して具体的に述べたのです。こういうことがあったよね、それってこういうことだよね、それって、誰にもできることではないよ、めっちゃすごいよ!って…具体的に書かないと訳わからんですね。

そしたら、そうなの!?具体的だからお世辞じゃないのわかる!嬉しい!って、凄い喜んでくれるので、自覚ないのかい、みんなそう思ってるのに知らなかったのか、もったいないなー。なんて思ってたところ、話の流れで、マサユメ氏の良いところはこういうとこだよ、って逆に言って貰うことがありまして、それに対して、

おお、まったく自覚がねえ笑。
だからこそ、かなり嬉しいぞ笑。

と。

はい、つまり、人は自分のことは見えませんね、という話。多分、良いことも悪いこともそうだと思います。だからこそ、良いことは嬉しいし、悪いことを指摘されると凹む。

そこでわたしゃ、思いましたね。
もっと言語化して、人のこと、同僚のこと褒めあうの、良いとこ率直に言うの、ええやん、と。

一時期、褒める文化を!なんて提唱されたことがありましたが、最近また下火になってる気がするなあと、皆さん思いませんか?わたくしは、それは多分、ハラスメントの概念が定着したあだ花ではないかと推察しています。

褒めることって、実はセクハラに親和性高いんですよ。〇〇ちゃんよくできるね、だから可愛いね、的な勇み足をしてしまう人って、結構います。ちゃん付と後半いらないやん、それ。でもほんとにいます。

もちろん多くの皆さんには倫理があり、その勇み足は無意識で回避できるのですが、用心深くあろうとすると、「もう余計なことは何も言わんとこう」ってなる。まあ致し方ないのですが。

それでも、良いところや褒めるべきところは、やっぱり言語化して伝える、これは大事だと思います。例えば私は人事をやってるんですが、会社の人事制度をいじれるのって人事だけですよね。これって、凄いことだと思いませんか?会社の中には、ひょっとしたら、俺だったら、私だったら、こんな人事制度にしたいのになあ〜って思ってる人がたくさんいるかもしれない。そんな中、人事だけが、案を作って経営に答申したり、制度を変えることができる。ある意味、業務に基づいた特権ですよね。

でも、、人はどうしても慣れてしまいます。気がつけば、あー今度は育休法改正ね、ちゃっちゃっちゃ、法改正の時は、ここを確認して、手順に沿っていっちょ上がり、みたいなルーチンワークになりかねない。

そんなレームダックを吹き飛ばすのが、実は褒めるこことかもしれないと思います。

育休制度見直したんだね。今度分割できるようにしたんだ。勤怠管理大変になるけど、これで目の前の社員がまた働きやすくなったね。凄いことやったねー、みんな喜ぶよ。この申請書、とってもわかりやすいね、ちゃんと書く人のこと考えて作ったね、さすが!

とか言われたら、俺なら惚れる。
もちろんこの言葉は誉めようとして無理やりに出す言葉じゃなくて、自己一致した心からナチュラルに出てきたことが前提だぞ。お世辞を言うのではなく、感度を上げることね。

言葉は魔法にも凶器にもなる。
できるだけ魔法を使っていきたいですね。

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