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『我々の世代のエゴ』自分の霊的な側面を考えることが極端に少ない現代人

有名な話として、ネイディブアメリカンは7世代後の子孫のことまで考えて、さまざまな決め事を行っているらしい。

一個人の寿命は現代では100歳に迫る勢いだから、ざっと考えるとそれは700年後か、そこまで広げなくても3世代で大体100年だとすれば、250年ほどが7世代の時間感覚だと私は考えている。

この250年という数字は冥王星の太陽系を一周する周期248年と大体同じなので私はネイディブアメリカンの一人ひとりの意識は冥王星の感覚にしっかり繋がっているのだと感じる。

一方で現代人は今回のコロナの件を見れば一目瞭然のようにたかが2、3年の変動で大変右往左往する。

自分の意識が250年先まで広がっているネイディブアメリカンに対して現代人は自分の寿命と予想される80年先は愚か、数年先のことに対しても全くイメージを伸ばすことができない有様だ。

これではその人の器は小さく閉鎖的なままなので自ずから、その本人の意思決定は時間的、空間的な限定の強くかかった自己中心的なものになるだろう。

極論かも知れないが、ワクチンを打つ人というのは色々な同調圧力や、関係性の中で、やむおえなしに、ということが大半なのだろうが、それこそがこの「我々の世代のエゴ」であり、そうして他の世代から受け継がれてきたものを台無しにする可能性は見えていない。
 
自分の霊的な側面を考える、とは別にオーラを見るとか、過去世、来世をセラピーで調べるとか、そういったことだけではない。

シンプルに自分の生きているポイントから、肉体を超えて派生しているあらゆる関係性に想いを巡らせ、あなたなりに全体性を捉えて普遍的な判断基準を構築するという意味だ。

「全身全霊」の全身は文字通り、物理的な骨や筋肉でできたカラダのことであり、全霊とは思考や感情、そして魂の部分を指している。

全身は一世代で朽ち果てるが、全霊は前例でもあり、脈々と受け継がれる。

私たちは霊を基準として、その受け皿としての肉体的なカラダを大切にする必要がある。自分の肉体的なカラダを可愛がるあまり、霊的な側面を忘れるのは本末転倒だ。

インターネットとiPhone、どちらが大切か?という問いにどちらか一つを選ぶような人はまずいないだろう。こんなものは愚問だ。

あなたは全身と全霊の両方をバランスよく捉えることを念頭においたら良いのだ。すると真価を発揮できる。私たちはそうゆう風にできている。


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