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親心というもの
先日、親子で経営されているチェーンご加盟のまちのでんきやさんから売上不振の相談を受け、一緒にあれこれ考えて「今後のやることリスト」のようなものに整理して、一緒に取り組んで行くことになった。
月が明けて送られて来た一か月分の成果表を受け取ると、ご子息ではなく既にご高齢の親御さんの筆跡で作成されている。ああぁ、と声にならない声が出た。
こういう先回り、やってしまいがちである。
このように書くと親御さんベッタリな状況をイメージしてしまうが、ご本人にそのような印象はない。
どちらかというと親御さんが毎回このように先回りして世話を焼いてしまうので、何か言って揉めるくらいなら任せておくか、と一歩引いてしまっている状況だ。
しかしこれではせっかく親子で事業承継して行ける状態にあるのに経営のバトンがなかなか渡らず、親御さんが更にヤキモキしてしまい、悪循環に陥りがちである。
ままならないな、と子供さん側への再度のアプローチ方法を思案しつつ、お盆休みに入る頃、実母から「お盆は私が別行動で墓参りやっておくから、あんた達は旅行だけ楽しんできたらいいよ」と連絡がきた。
毎年、お盆に祖父母のお墓参りと親の実家に挨拶を済ませてから、周辺地域で一泊・観光する旅行を計画しているのだが、今回、お墓参りと親戚宅への顔出しは母一人で済ませるので、その分宿泊・観光を楽しんでおいでということらしい。
いやいや。
他ならぬ自分も親に先回りして世話を焼かれていたのだった。
親心とは先回りするもの
こうして我が身に起こってみると、やはり親というのは「親思う心にまさる親心」のことわざの通り、幾つになっても心配して先回りしてしまうものなのだろう。
だからと言って自分のことは自分でやるから余計なことをするな、というのもいい大人が取る態度でもない。
先ほどの親子の電器店さんの互いの気持ちもそのようなところにあるのかも知れない。
お盆の計画についてはコロナ禍期間を挟んで3年越しでもあり、母親の提案にやんわり感謝しつつ、それでも自分たちもお墓参り、ご挨拶することにした。
親心には感謝しつつ、自分のことは自分で決める
自分たちも親なので子供が小さいうちは危ない目に遭わないよう、将来困らないよう、何かと心配して先回りして声を掛けたり、手を回したりしている。
それは子供を育てて行く上で親として当然の務めでもある。実感としては務めと云うより本能と言った方が近そうだ。
そして自分も10年、20年先も今のようについ気を回してしまい、成人した我が子を閉口させているかも知れない。
育てられての今があるのは間違いないことなので、それはそれとして感謝しつつ、自分のことは自分で決めて行くことが成人した子側の態度としては正解なのかな。
自分が親側の場合はどうだろうか?
ある程度かわいげをもって、子供に迷惑をかける年寄りになれればいいな、と思う。
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