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辛かった時の話しをしようか

今となっては自分自身が通らなければならなかったと思うとても苦しくて辛かった時期がある。

その時の僕はとにかく仕事というものに時間も体力も精神も持っていかれていて、大事にしたいことなど考える余裕もなかった。

今日はそんな辛かった時の話し

会社に入るまではコミュ強でなんでもやれると思っていた

小中高とそれなりに勉強もしてきて、大学に入った僕はとにかく勉強よりもダンスに打ち込む学生だった。

サークルでは100人規模のイベントをまとめてもいたし、3年間ですごく上手くなれた自信もある。振付けも大学生からダンスを始めた中ではそれなりにできたほうだと思う。
ミーティングに行けばしっかりとゴールイメージを設定して、抽象的なことも整合性や論理でまとめられた。

そんな僕だったので、就職活動自体は難しくなかった。自信もあったし、面接でもあがることはなかった。なんならアドリブの方が得意だとくらい思っていた。

そして縁があり今の会社に入った。

ダンスは今でもまたやりたいなと思う!

全く力になれない若手社員時代

会社に入り、社内報に300人の動機の中から社内報に乗るくらいは新人研修でぶっちぎった記憶がある。ワークショップやディスカッションでは負ける気がしなかった(勝ち負けなどないのだけれど)

そして意気揚々と入った部署で突然何もできなくなった。

仕事は覚えられないし、覚えたと思った仕事ではミスをする。本を作る印刷会社で働いていることもあり、納期を遅れさせかけたことも何度もある。

違う得意先それぞれのお客さまにこの営業を変えてくれと上司に相談が入った。

指導社員は不幸なことに毎年変わり、関係性を長く保つこともできず、やっと信頼関係ができたと思った人は3年目の10月に唐突に亡くなってしまった。

周りの先輩は慰めの言葉よりも先に
「あいつが持っていた仕事どうするつもり?」と聞いてきた。

完全に入る場所を間違えたと思った。

そして自分の人生かけても返せないくらいの失注をして部署を移動することになる。

誰がどう見てもできないダメなやつだった。

頑張っても無理なことがあると知った

そこからはとにかく頑張った。
異動もし、環境も変わり、心機一転して心を入れ替えてとにかくクライアントファーストの仕事をし、わからないことやできないことは人に頼んだり、何度も何度も確認しては時間をかけて行うようになった。

お客様からはありがたいことに必要とされるようになったり、食事に誘ってもらえるくらいには社会人として信頼されることができたと自分では思う。

それでもできないことがあった。それが誤字脱字と、数字の入力だった。

僕は元来発達障害ADHDの気質がある。気質があるというか診断が出ている。

その時はまだわからなかったけれど、壊滅的にここを間違える。

得意先の人の宛名は間違えるし、ミーティングの時間も間違えるし、なんなら売り上げ数字を入れなければならないデータで一桁間違える。

ここだけがどうしても治らずに、上司から詰められ続けた。

結果お客さまに信頼されていると言う承認欲求は吹き飛んで精神を病んだ。

この時にどうしてもできないことがあると知った。

職場が悪かったわけではない。ひとえに自分の能力が適応できなかった。

強みを活かし、弱みを捨てる人生

今でもこの特性は治っていない。完治するものでもないし、僕はここを治すことを諦めた。

そのかわり自分が強いと思っていることにフォーカスすることにした。

それは学生時代から思っていた課題解決型の思考であったり、ファシリテーション能力、表現をすると言う意味でのプレゼンテーション能力など様々なもの。

人に褒められたことを認められなかった自分をやめて、認めてあげることにした。

それが自分のできることなんだと。

これが今後の人生において最適な生存戦略かはわからない。

しかし一個だけ変わったことがある。

とても生きやすくなったこと。

自分を否定しながら生きなくて良くなったこと。

辛かった経験が教えてくれたとても大事なこと。

そんな風に思える人が一人でも増えればいいと思って生きています、ら

この文章がどこかの誰かに届けば幸いです。

まさよ

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