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私のみぞ知る

ユングなどの心理学者が唱えたものとして、「集合的無意識」がある。

我々は普段、顕在的な部分を駆使して生活している。しかし、それは個々の意識における全体の数%でしかないという。

残りの9割以上は「潜在意識」というものが占めていて、大体の人はこの領域部分を使いこなせていない。

話によれば、この部分を100%引き出す事が出来れば、人類誰しもが100m走において世界新記録を出せるらしい。

また、さらにその深い領域には木の根の様に繋がっている部分がある。

それこそが、「集合的無意識」だ。

どうやら私たちは個々独立しているように見えて、意識領域で繋がっている…とのこと。この事を普段から実感出来る瞬間は、確かにある。

例えば、ふと友人のことを思い出した途端、その友人からメッセージが届くこともあるだろう。

そんな時は、否が応でも集合的無意識の「繋がり」を感じずにはいられない。

しかし…実際にはどうなのだろう。

そこのあなたは、「集合的無意識」とやらを信じるだろうか?

ハッキリ言うが、私はそんなものあってほしくないと思っている。冗談じゃない。少なくとも、私はその影響を受けたいとは思わない。

SNSなんてのをやってると、自分のことを棚に上げて悪口ばかりをほざくクズ野郎を、嫌と言うほど見る事になる。

もちろん、ネット云々の前に私は散々、煮ても焼いても食えない奴を見てきた。

私は、そんな奴らと繋がろうなんて万に一つも思えない。むしろさっさと死んで、この世の設定から消えて欲しいと心から思っている。

だいたい、街ゆく人々を見てみても…どうだね?

これだけの意識がもし私の中に流れてきたとして…私は処理しきれないよ。つまり、そう考えると私以外の存在そのものが、途端に不可解になるのだ。

この人たちは一体なぜ…いや、どうやって「ここ」に存在しているのだ?

もう一度言うが、とてもとても私個人「だけ」ではデータ処理しきれない。ヒトなんてのはご存知の通り、犬や猫などと違ってとても複雑な生き物なのだ。

ならばこそ、私のこの眼球を通して映る人々の群れは…どうやって「私」という名の世界線において存在しているのだ?なぜ、存在出来ているのだ?

いや…私はもしや、この目に映る人々なんて一切処理していないんじゃないのか?つまり、この人たちは全て、私にとって取るに足らない存在ということ。

「ひどい」と思うかもしれないが、よく考えてみてほしい。

例えば、殺人事件や交通事故のニュースが流れたとしよう。

「昨夜未明…〇〇市の会社員、〇〇さんが都内の電柱に突っ込み、病院に搬送されましたが、その後死亡が確認されました…」

…普段よく見かけるニュースである。

このニュースがラーメン屋のとある昼下がりに流れたとして、皆ラーメンをすする箸を休めて悲しみに浸るだろうか?

そう、そんな事はありえない。そんな事になるのは遺族の方や友人などの関係者のみ。それ以外の方はぶっちゃけ、「どうでもいい」と思っているはずだ。

この時、ラーメンを食べている皆はこの死亡した人を…というか、このニュース自体を頭の中で処理していると言えるのだろうか?

我々も所詮、オートで動く炭素ロボットだ。処理能力にはそりゃあ、限界ってもんがあるだろう。

故にヒトというのは元々、「自分」という人生劇において必要な情報以外は処理しないんじゃないのかな?

そうじゃないと、とてもじゃないがやっていけない。あっという間に色々な意味でパンクしてしまう。

…そう考えると、「集合的無意識」なんてもんは本当に怪しいもんだと思うんだよ。

ただ、全てに言える事は「半分正解、半分間違い」だ。

この世は二元が支配している。全ての事象はAかつB。

つまり…「それでも我々はある意味で、繋がっている」ということ。

無関係な人間同士が、それでも意識を分配し合いながらこの世を形成している。

この世を一つにする「キリスト」という名の接着剤を使いながら…

ヤコブ・ベーメの「宇宙図」

…皆とこの世の仕組みは、大体分かった。

ならば…私は?

この「宇宙図」の中で私は…どこにいる?

この中の一部なのか。

それとも、これらを含む「すべて」なのか。

その答えはきっと…私だけが知っている。

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