自己介入
日本でそこそこ大きな借金をした私はそれを返せず、とうとう逃げる様にタイに行った。そこからさらに詐欺師に騙され、追い詰められていた。
私のこんな性格上、海外でもやはり友人と呼べる人間は少なかった。特にカネの相談事などをぶつけられる人は、周りに一人もいない。
いい歳して、ついに親に泣きつく。私にとっての最終防衛ラインだった。
今まで散々、生き方を否定して来た親へ電話する...伝わらないかもしれないが、その時の私の気持ちは、ここでは言葉に出来ない。頑強なプライドをそこで捨てた。要は、それほどまでに、追い詰められていた。
しかし...結果、親にも兄弟にも、そこで見捨てられた(今は和解したが)。
誰もいない、荷物を纏めた部屋に一人帰る。
頼れる人がいない。カネも無い。日本にも帰る場所が無い。在住ビザももうすぐ期限が切れる。
...スマートフォンで何度も口座残高を確かめる。
あれだけ努力して貯めた貯金は、やはりゼロになっていた。
日本でやり直せるだけのカネはあった。それを、日本人詐欺師にケツの毛まで毟り取られた。
改めて思えば、私は社会に適応できず、自分なりにどんなに努力してもカネに愛されない人生だった。
そうか、この世での私の位置は、ここなのだ。もう何度、転んだか分からない。この強固なコンフォートゾーンは抜け出せないのだ。
もう、立てない。そう思った。
——アテも無く、バスに乗る。景色を見ながら、「もう、やめてしまおうか」と思った。誰も悲しむまい。もう、やめだ。こんな「人生ごっこ」に付き合うのはもう、たくさんだ。
私が消えてなくなる。それによって悲しむ人物を頭の中で思い浮かべようとした。しかし、笑えるほど誰も思い浮かばない。
尤も、葬式には来るだろうさ。奴らはロボットみたいなもんだ。「義理」ってヤツで来るだろう。だが、心から悲しんでくれるヤツなど、まぁ思い浮かばない。
涙も枯れ果てた...つもりだった。
しかし、ある事に「はっ」と気付き、急に目頭が熱くなり始めた。
一人だけ、心から悲しんでくれる人物を見つけたのだ。
...他ならぬ、私だ。
私の目から大粒の涙が流れ、拳を強く握り締めた。
親?クソくらえ。友人?クソくらえ。この後に及んで、そんな奴らはハッキリ言ってどうでもいい。
それよりも私が...私が可哀想だ。
私は元々、自分に厳しくする傾向がある。そのせいか、「自分が可哀想」という発想自体が無かった。
可哀想に、可哀想になぁ。よく、頑張った。お前、頑張ったよ。何も恥ずかしくなんか無い。お前なりに努力したんじゃないか。よくやった。
念仏の様に心の中で繰り返し自分を慰め、周りの人の目も気にせず、声をすすり上げて泣いた。
...その後、私の心に再び火が入った。
バスを降りる頃にはもう、気持ちが切り替わっていた。
「さぁ、これからどうしようか...」
私はその一件で、さらに強くなった。
ヒトは追い詰められると自己愛が枯渇する。きっとそんな時こそ、自分を赦すべきだ。他人に相談を持ちかけるヒマがあるなら、多分そっちの方がいい。
自分を真の意味で愛せるのは、自分だけだからね。
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