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タイでのエピソード・その18
—その17の続き—
「またタイに行くのかい?」
...決して「頑張れ」とか「行ってこい」と言わない。言えない。
息子が何度もアタックしている挑戦に対し、私の母は生涯一度も応援などした事は無かった。
そのくせ、息子がどこかに行こうとすると寂しがった。恋人を作ると私の幸せに嫉妬した。自分勝手の極み。反面教師の鑑だ。
「早く医者になって、私たちを楽にさせてくれや!」と言う言葉は、今でもハッッッッッキリと覚えている。確か小学校か中学校の時だな。
反骨精神旺盛なあんたの息子は、お陰さんでダメ人間になりましたとさ。残念でした。
色々などうでもいいバイトや派遣の仕事をこなして、私は再び、タイへのチケットの手配をした。
と言っても、そこまで計画的に動けたわけではない。タイから帰って来て、走り出すまでに二年ほど掛かった。
ダラダラと続けたギター。捨てきれない音楽の夢。まさか、ここまで足枷になるとは思わなかった。
二十歳の時、ストラトキャスターに出会い、ジミ・ヘンドリクスとスティーヴィー・レイ・ヴォーンからブルーズさえ習わなければ...そうすれば、こんな人生にはならなかったはずだ。
まぁ、良い。過ぎ去った時間はもう、戻らない。
残りの人生で、それ以上のフェイバリットな事を見つけるのだ。
...そう自分に言い聞かせて、私はギターを、そして音楽を諦め、渡タイの際にはギターを持って行かない事にした。
...はずだったが、どうしても捨てきれず、アコースティック一本だけ持っていく事にした(笑)まぁ、今度こそ軽い荷物で纏めるので、重量オーバーになる事はあるまい。オプションで+10kgにしたし、準備は万全だ。
またタイに行く際には、心から地元の事が、そして自分自身の事が嫌になっていた。私が地元を飛び出す時は、大体そんな感じだ。
アディオス!クソ田舎。
今度は大丈夫。雇ってもらえるコネクションもあるからね。
私は自信満々に羽田空港まで飛び、そこから成田へ向かってタイへ飛んだ。
そこまで余裕があったわけではないが、今回は全てが万全のはずだ。何も問題は無い。絶好調。
...バンコクに到着した後、私はまだアパートを決めていなかったので、まずは前の会社で知り合った友人の家に行き、そこで泊めてもらう事にした。
以前のデモの時、家に匿ってくれた人だ。O氏と言う。私よりも10歳ほど年上だ。
「アパートが決まるまで、ゆっくりしていけ」と言ってくれた。お言葉に甘え、私は会社の面接に行き、さらに並行してアパートを探す事にした。
O氏は元々日本の某派遣会社の社長をしていて、こっちには訳ありで来ていたらしい。社長という割には全くそうは見えず...。後から知ったが、ぶっちゃけ、会社自体はかなりまずい。まータイにくる人間は大体、訳ありって事なんですよね。
物件探しの際は、O氏とはまた別の、以前の会社で知り合った友人たちとコンタクトを取り、アパート探しを手伝ってもらった。
彼らは相変わらず...と言った感じ。まだ以前のまま、同じ会社でオペレーターとして働いていた。
彼らがおすすめのアパートを探してくれたおかげで、納得のアパートがすぐに見つかった。一ヶ月7000バーツ。その時のレートで大体3万円前後と言ったところ。OK、OK。
1Kの狭い部屋だが、以前S氏に紹介してもらった所に比べれば、綺麗さも立地条件も圧倒的に上。そうそう、これで良いのだよ、これで!
何一つ、不満はない。これで何も問題ないはずだ、何も...。
...そうしているうち、T氏の会社から面接結果の報告メールが入る。
「お、入社日の案内かな?それともビザ取得の案内かな?」と思って、そのメールを確認した。
中身は...まさかの不採用通知だった。
T氏にすぐ、連絡をした。
「マサヤンさん!すいません!いやぁ本当に、何と言ったら良いか...」
...話が違う。何故、落とされたのだ。
後から知った事だが、このTと言う男、単なる調子の良いヤツで、信頼に足る男とは言い難かった。
「こう見えて会社では顔がきくので、任せて下さい!」的な事言ってたクセに、別にそこまでの地位は持っていなかった。そして「いざ」と言う時は何かと言い訳だけ残して、ケツを拭わずに消えるタイプ。今の私は、そう言う男を「詐欺師」と呼ぶ。
目の前が真っ暗になった。
...まぁもちろん、こんな阿呆を信頼した私が悪い。それと、「どうせ大丈夫」と言う安心感&油断も手伝ってか、面接の時に全く心の準備をしていなかった。面接官はしっかり、そこを見抜いた。そう考えると、確かにちゃんとした会社なんだろう。何にせよ、私が未熟なのだ。
だが、その時の私は自責の念よりも何も、まずこれからどうしたら良いかが分からなかった。
...まずい。どうすればいい?
またノービザで入って来た。残された期間は長く無い。帰るにも車は手放して来たし、アパートも契約してしまった。帰国の選択肢は無いだろう。
ノーギャラで長期滞在出来るほどの余裕も無いし、まだパソコンでの在宅ワーク収入で生活を確立できるほどでも無い。
何より...ビザはどうする?
観光ビザ取得(ビザラン)を繰り返すか?いや...リスキーだ。
困り果てた私は、事情をアパート探しで手伝ってくれた友人たちに話した。本来はもう、関与しない予定だった。こいつらの輪の中に入りたく無い。
アパートを探してくれた事は感謝する。だが、それ以上でもそれ以下でも無い。
だが...今は他にどうする事も出来ん。こんな奴らに頼む事になるとは...。
私は、歯を食いしばった。
そして...以前の会社に紹介してもらい、何とか再入社を果たした。
今の私がその時の私に話し掛けられるなら、全力で止めるがね(笑)。よくまぁ堪えたよ、私も...。
就労ビザが無いなら当然、タイで稼いじゃダメ。でもその時の私は日本の住民票を外したまま、タイに移して無かった。つまり...私の住所は宙に浮いていた。
この状態でかつタイに居住し、ネットで日本円を稼げば...おっと、この話はここまでだ!(笑)
ビザ?カンボジアかラオスで出入りを繰り返して、パスポートにハンコ押されるまで、何度も観光ビザを取得すりゃいいのさ。当時は厳しかったが、それでも三回は出来たはずだ。
ハンコ押されたら?
...パスポートを洗濯機に突っ込んで、日本大使館で再発行すればOK!(笑)
<良い子は真似しないように!>
しかし、その時の私はそんな「小狡い」方法も知らなかったし、何より今ほど思考がぶっ飛んだクソ度胸の持ち主でも無かった為、知っていたとしてもやらなかっただろうな...。
何はともあれ...ビザは手に入った。入ったが...
...あーあ。またこのクソ会社に戻ってくるとは。
一度中指を立てた所に、戻りたくも無いのに戻る。この時の私の屈辱は、言葉に出来ない。案の定、入社の際に頭の悪い人事部やらマネージャーやらに散々罵られ、それ以降も見下された。
以前、私を可愛がった人事部担当の女マネージャーも、別人格の様になって私をあしらった。
こいつらみんな、サイコパスだよ。...まぁ、だからタイのコールセンターなんぞにいるんだろうけどさ。
...それでも再入社出来たのは、前回に成績を残せたおかげでもある。以前、あの短期間であれだけの成績を残した私の事は、社内でちょっとした伝説になっていた。
私の再入社の話は瞬く間に広がり...
「おっ...何してんの?(笑)」
「くっ...うるせっ(笑)」
「笑笑笑」
...H、登場。こいつもまだ、ここにいた。
心の中の霧がぱぁっと晴れる。今回の渡タイでやっと、「嬉しい」と言う感情が湧いた。こいつは変わらない。こいつだけは...。
ヒトシ、元気で良かった。
でも、こいつもこいつで、もうこの会社には飽き飽きしている様だった。明らかにフラストレーションが溜まって疲れている感じ。こいつの能力を考えると、勿体無さ過ぎた。何故、まだいるのだ...。
ある程度の事情よりも「カネ」を選ぶこの会社の気質が、ある意味でその時の私を救った。まぁでも、それは企業として正しいんだよね。どこもそうだよな、そんなの。
しかし...長続きしない事は目に見えていた。
とりあえずは「避難所」として使い、そのうちさっさと辞めてやる。
そう誓い...そして...
...また電話を取る日々が続いた。
—その19へ続く—
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