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夏炉冬扇

この世の全てには、意味が無いのかもしれない。

意味も価値も無い…そう考えると、しっくりくる事がたくさんある。

今まで色々な人を観察し、参考にさせてもらった。

そうしているうち、いわば「悟り」に近いようなところまで行っている人には、やはり共通点がある。

まず一つとして、中庸に至る。これは紛れもない事実だ。

例えばこの世を支配するエリートの存在だの、陰謀論だのには決して縛られていない。

マスクをする方もする方だし、ワクチンを何も考えずに打つ人も打つ人だが、それを批判して叫んでいる人も同類なのだ。人種差別を大声で批判する人も同様。

この人たちは結局、同じ場所にカテゴライズされ、いわゆる「その他大勢」ってやつから抜け出せていない。ある程度悟った人は、この事実を須く理解している。

もう一つ。共通して言えるのは、とにかく孤独だ。逆に言えば、孤独になれない人は、こと「悟る」事において多分、諦めた方がよい。

達観している方は概ね、私同様、孤独にめっぽう強い。恐らく、孤独を「不幸」と捉えた事がない。

「悟り」ってやつに到達する上では、どうしても俗物は不必要になってくるのだろう。

私が普段から言っているように、ヒトは外的要因から成る。「個性」などほぼ存在せず、99%はその集合体から成ると言えるだろう。

だからこそ、その「世間の波」ってやつに飲まれると、まずい。要は「世間の常識」ってやつだ。だから私もTwitter時代から極力、余計な人脈は排除するよう心がけてきた。

色々な考察なんかをいただくのだが、大体のものは私にとってノイズにしかならない。だから、最初からその可能性を排除している。

事実、そうやって私は「ここ」まで辿り着いた。

有料note記事の領域を全て見た方なら分かるとは思うが、もう私は…大体来るところまで来たような気すらしている。

しかも私の場合、釈迦に手を合わせたわけでもない。南無阿弥陀仏を唱えたわけでもないし、般若心経を学んだわけでもない。曼荼羅を拝み続けたわけでもないのだ。自分の力だけで…ここまで辿り着いた。

そんな私を褒めてやりたいのはもちろんだが、それ以前に…その事実はもはやそのまま、「この世が一つのマニュアルに基づいて動いている」事の証明になっていると思うのだよ。

私の観察眼が凄まじいのか?べらぼうに頭が良く、感性に優れているのか?…そんなはずはない。自分を客観的に見ても、私はどこにでもいる、ごくごく普通の男なのだ。

でもだからこそ、私自身がこの道を歩く事は、初めから定められていた。そう考えた方がずっと自然だ。

人間関係を排除し、ひたすら己と語り続けた。

誰かに理解されたいわけでもない。

誰かに褒めてもらいたいわけでもない。

ずっと、追い求めた。ずーーーっと…。

「マトモ」に社会ってやつに出て、働き、結婚し、子供を作り、家を買い…そんなことをしていたら絶対、絶対にここに到達していないだろう。

あぁ…そう考えるときっと、この世の全ては「無駄」なのだ。

気づくための必要なツールの集合体(ヒント)であるのと同時に、全ての物事は無駄なもの。

だからこそ…最期にヒトは全てを捨て、逝くのかもしれない。

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