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求める

最近は昔の考察を振り返りつつ、再び「地図」についての考察をしていた。

「この世の本当の姿」

…恐らく私を含め、世界中の人間がこれを証明出来ない。恐らく一生を掛けたとしても難しいだろう。

人はここで二つに分かれる。

考えるのを止める人と、考え続ける人だ。

当然、この世においては前者が正解である。だってこの世の本当の姿を理解したところで、一見すると何のメリットも無いのだから。

「この世の本当の姿に興味はある。でも、考えても仕方ない。だって、意味が無いもの。正解に辿り着いたら大金持ちになれる…というなら、やる価値はあると思うけど。」

…多くの人の気持ちを代弁するなら、こんなところだろう。

確かにこの世の姿を理解したところで、具体的に何かを得られる保証など何も無い。懸賞金などが出るわけでもあるまいし。

なら…ここについて考え続ける事は、無意味なのだろうか?

「無意味だ」と主張する人に問いたい。

ならこの精神の根源にあり、我々が「興味心」と表現するこの気持ちの存在意義は何だ?「それ」は無限に湧き出て来る。私は「これ」をこそ「信仰」と呼ぶ。「これ」をどう説明する?何故、「これ」は我々の中にあるのだ?

この気持ちもウソだというのか?幻だ、と?

この「求める」行為は無駄だ、と?

…以下は、現存する「昔の地図」とされているものだ。

あなたの目が節穴ではないなら、これが球体の空間について描かれたものではない事くらい分かるはずだ。

端の方に注目すると…

全体を囲う様に「壁」の役割を果たす群島が存在している。この表現は、まるで「フラットアース」のそれだ。

この地図を描いた人が誰かは知らんが、その人は頭がおかしいのか?

それとも、これは想像で描いただけの「作品」かね?

こんなにも手の込んだ「作品(妄想)」をわざわざ描いた、と?

これも…

これも…

そして、エルサレムを中心に描かれているこれも…その全てが、ローテクな時代に描かれた人々の「妄想の産物」に過ぎないかね?

…まだまだ、この「平面地図」は無数にある。と言う事は、当時の人々はGPSも無いし、こういった「共通の妄想をしていた」という事か?

ふふ…そんなはず無いだろう?あり得ない。

なら…「これら」は何だ?

答えは簡単さ。

「この世」であり、「全て」だ。

月をこの世の地図として見立てる事は、太古の時代から当たり前の様に行われて来た。

この事実は、やはり時代ごとに世界の形と月のマップは異なり、かつこの世の歴史が継続的ではなく「断続的」である事を表す。

この世は急に消え、そして急に生まれる。

そう…私たちがいつの間にか生まれ、そしていつの間にか死んでいる様に。

「探求に意味など無い」と断言する人よ。

…まだ、そう思うかね?

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