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感謝すべき対象

我々は自我を証明出来ない。

ほとんどの人は「自分はいる!」と主張するが、何と言われてもそこに根拠など、ない。

その人が主張している「自我」とは、結局のところ「その人以外の外的要因の集合体」だ。

これを「ひねくれている」と捉える人もいるかもしれないが、単に現実を見ていないだけだと思う。と言うか、非常に自分勝手な考えだとも思うね。

そういう人に限って音楽を愛し、この世の平和ってやつを歌ったりしちゃうもんで…存在自体がまるで矛盾しているのだよ。

ヒトは外的要因の集合体である。そう捉えると、自己主張ってのは「自分の主張」ではなく、「今までの人生経験の主張」でしょう?そしてそれ自体が、「自分以外」の存在なのだから…そこに「感謝」が無くては成り立たない。何度も言うが、それは「あなた」じゃない。「あなたに影響を与えた事象たち」だ。

例えば「俺はお前じゃない!俺は俺だ!この世にたった一人、唯一無二の存在なんだ!」と主張する人は多い。でも、その主張自体が矛盾しているし、そんなんじゃいつまで経っても、本当の意味で相手に感謝出来ない。君がその主張を投げかけている目の前の相手も、ある意味では君自身なんだよ。

この「ひとかたまり」を正しく定義出来ないまま、「自我だ!これぞ自分だ!俺そのものだ!存在証明なのだぁ!」と叫ぶのは、あまりにも愚かすぎる。何も分かってない証拠だ。

私も音楽ってやつをやってきたので、その手の「自己主張」は腐るほど見てきた。

そう考えると尚のこと、我々は本来、客観的な生き物である。

自分にくっついたその沢山の「外的要因」たち。「自分」として形成してくれた「影響」たち。

人生がうまく行ってる人は、変なプライドなど捨てて、素直にここに感謝している。

そして、本当の意味でそこに感謝するには、その全てを客観視するのが手っ取り早い。というか、多分それしか無い。

まぁ客観も何も、元々それは「自分じゃない」のだから…「よその物」として見れるはずだ。自分であって、自分じゃない。AかつB。

自分自身(を形成するもの)への感謝。それすなわち、今まで関与した外的要因、出会いや影響全てに感謝する事と同義だ。

これが出来れば、絶対に人生は上手くいく。自らの人生がより、輝いて見える様になるだろう。

ヒトよ、中庸であれ。

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