金魚鉢
「3」の真理。
「1、2、3」の理屈(『真・奴隷解放宣言』参照)から見ても、その考えはとても理にかなっている。
観察する限り、この世の物はどれも「3」から成るようだが、今回はその中でも物理的領域における「血」と「肉」と「骨」の3つの要素に着目したい。
いや…これは割とフェイクな表現で、恐らく真実は少し違うのではないか。
確かに、いずれも人間の生命維持に重要な要素である。
だが、私はあえて他の表現を用いたい。
参考にするのは金魚鉢だ。
この場合、鉢は「器」。水が「媒体」。そして…金魚が「コア」と言うべきか…ともかく、一つの「存在」である。
私が思うに、この世も須くこの3つから成る。
以前私は、この世…宇宙そのものを「目」に喩えた。
中心部に「コア」とも言うべき存在がある。そして、その外郭にはこの世の概念を含む「データたち」が存在する。一見するとそれらは繋がっていないが、その間にある「何らかの媒体」によって、水面化でつながり、コアは影響を受け続けている。
この世の理は本質に比べ、逆転している。現世に存在する我々おいて、目は「外的要因を見る」為のものだ。
ならば、この事実を逆に考える必要がある。
己を見つめること。そして自分の脳意識からビジョン化するのではなく、自分以外のデータの影響から世界を構築する(される)こと…本来は、これを総じて「見る」と言う。
中心部、器たる外郭、そして媒体。目とこの世もやはりこの3つから成っている。そう考えると、イルミナティ・フリーメイソンの主張は至極真っ当なのだ。
ここに到達した者はきっと、世界を構築する権利を得る。
…私は勝手にそう、思っている。
という事はやはり、私がこの世の中心だとしても、具体的に私がこの「現世」と呼ばれるフィールドを構築しているわけではない。
北海道の大地も、この理不尽でクソッタレな人生も、出会う人々とそれらに関与するストーリーも、世界も、宇宙も、全ても…これらは私ではなく、そこのあなたを含む私以外の存在が構築したものだ。
そして私は、それらを「コア」として受け止め、楽しませてもらっているに過ぎない。
しかし…
その場合、私とあなた達を繋ぐ「媒体」とは?
いや…見る限りやはり、私とあなた方は繋がっていない。
まさか、世のスピリチュアリスト達がほざく「潜在意識」とやらが、私と皆の間にあるわけでもあるまい。もしそんなもんがあったとしても、恐らく私には存在しない(私以外の皆さん同士には、あるのかもしれない)。
ならば、この世における私の存在意義とは一体、何なのだ?
私以外の皆は、それぞれを尊重して平和に生きるべきである。だって、各々で一丸となってストーリーを構築して生きてるのだから。そこに意味を見出すのは容易だ。
でも…じゃあ私は?私は何の為にこの世に存在するのだ?この理論が確かなら、私はこの世を存続させる上では、特に必要ない存在…という事にならないだろうか?
私はやはりこの金魚の様に、「外郭」と「媒体」に満たされた空間にぽつんと佇む、ただの生命体…「ただの無意味な存在」に過ぎないのだろうか?
金魚鉢自体は、たとえ中身が空になっても存在し続ける。
そう考えると尚の事…私はこの世で何をしている?
私の為?私以外の存在の為?
どこに答えを見出せば良い?
……その答えは恐らく…これだ。
空の金魚鉢。これこそが答えである。
本来はここに水が満たされ、元気よく一匹の金魚が泳ぐ。
そこから「媒体」たる水を抜いたら…?
そう、当然ながら金魚は生きていけない。
でもね…忘れないでほしい。この世の教義・理は逆転している。この世は鏡の世界なのだ。
人間は空気、魚は水…これらの媒体が無くては生きていけない。これが現世における現実だが…
私の考えでは、私は媒体が無くとも本質的に存在しうる。つまりは「見えうる」。だからこそ、一見繋がっているようで隔絶されたこの世において、存在し続けているのだ。最近はこの境地に至った。
さらに逆転の発想で物事を捉える。
キーボードを叩くのをやめ、水を飲むためにキッチンへと歩く。
すると、私の体はキッチンへと近づく。意識はキッチン、そして蛇口へ、コップへ、さらに「水を飲む」という行為へ移る。
…?
本当にそうなのか?
私が作った世界でもないのに?
「製作者」たる皆と私は繋がってないのに?
そんなに「自由」なことが出来るのか…?
…いや、違う!
この場合、私がキッチンへと近づいたのではない。キッチンが…そしてコップを取って水を飲むという出来事・現実そのものが、私の方へと近づいて来たのだ。
逆転させていくと…そういう事にならないだろうか。
全てを逆転させて…か。
真にその解釈を得た時、私はどうなるのだろう。
正気を保っていられるのだろうか。
もしくは…空の金魚鉢の中にいる金魚の様に…朽ちてしまうのだろうか。
真理探求者・マサヤン=ケンヂは今日も隔離されたこの世において、母を想い、探求を続ける。
好きに生き、好きに死ぬ。
…約束だ、母さん。
もし私の研究に興味を持って頂けたなら、是非ともサポートをして頂けると嬉しいです。サポート分は当然、全て研究費用に回させて頂きます。必ず真理へと辿り着いて見せますので、どうか何卒、宜しくお願い致します。