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この世はバーチャル...?

以前、「この世は比喩表現である」と述べた。

この事に関してはより掘り下げて、今後の有料記事でも述べようと思う。

例えばこの世の試練そのものが、精子として卵子に向かう際の途中経過のような物なのかもしれない。

そして、その状況を夢のように映像として具現化しているだけだ、と。

突拍子も無い話に聞こえるかもしれないが、そもそも我々がいつも見る夢だって、それと同じくらいに突拍子も無い。

これも色々なコンテンツで私が言っている事だが、現実も夢も無い。その境界線なんぞ、人間が勝手にそう理解しているだけだ。本来、そんな物無い。どこに違いがあると言うのだ。

昔、テレビの入浴剤のCMで「お風呂が一番、気持ちいい!」と言うセリフが流れた。

まだ小学生で何の悩みも抱えていなかった私は、「何言ってるんだ。寝るのが一番、気持ち良いに決まってるじゃ無いか」と思った。

寝る際、父に「ねぇ、寝るのが一番、気持ち良いよね?」と聞くと「まぁな」と何となく流された。クラスの仲間に言っても、あまり理解されなかった。それが以外で仕方なかった。

自分の中では常識だった。人生で一番気持ち良いのは、寝る事である…ずっと、本気でそう思っていたのだ。なので皆、言うまでも無くそう考えているんだろうなと感じていた。でも…実際にはそうでもなかった。

大人になると、むしろ寝るのが面倒だと思うくらいになってしまう。セックスをはじめとした「寝る時の快楽」を上回る快楽もあるし、何より忙しくて寝る時間そのものを作りづらい。

それら自体が、実は余計な概念と言うか。この「天獄、煉獄の世」に叩き込んでおく為のシステムの一つと言うか、ね。

そう考えると、煩悩を断つお坊さんなんかは、割と面白い事をしてるのかもしれない。

この世の全てが何かしらの比喩なら、「比喩の元となる意識、元の現実」ってやつがあるはずだ。

でもそれだと結局、この世は仮想空間って事になってしまう。

そうじゃ無いんだよな、きっと。

昔のゲームに「妖怪道中記」ってのがある。ナムコから出ているアクションゲームだ。

現世で殺されてしまった主人公「たろすけ」が、輪廻転生を目指して「あの世」を旅する。

ラストステージの「輪廻界」の最後は、ボスでは無くお釈迦様がいる。その時点で道中の「行い」をチェックされ、たろすけの生まれ変わり先がジャッジされるのだ。

ベストから二番目のエンドは、めでたく現世へと転生する。

そして、そのさらに上のベストエンドが…

ナムコのヒーローが大集合。たろすけはゲームの世界で転生し、そのヒーローの一員となって終わる。

めでたしめでたし…かどうかは知らんが、ここまで辿り着くにはとんでもない労力が必要。このゲーム、難易度が尋常じゃ無い。なので、このベストエンドに辿り着いたプレイヤーは、誰もがここで納得し、受け入れてしまうだろう。

ゲームの世界に転生する…か。

「この世はバーチャル」

…その結論に達してる人は多いかもしれない。

でも…本当にそれ、合ってるのかな?

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